戦後史をテーマに

2009年05月24日

コリアンレポートという辺真一ぴょんじんいるさんのページ

辺真一(ぴょんじんいる)さんはテレビによく出てくる。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%BE%BA%E7%9C%9F%E4%B8%80

この人にコリアンレポートの 独自のページ があることに気づいたのは最近だ。
http://www.krp1982.com/

さらにブログ もあった。
http://blogs.yahoo.co.jp/krp19820301/MYBLOG/yblog.html

つくづく現代日本は、インターネットという新しいツールの進歩から新しい現実が成長しつつあるということを知る。
この10年間くらいだろう。インターネットが大きく普及した。

無論インターネットにも問題がある。

議論の行き過ぎ。ないし、主張の限界に気付かないまま、連想から一方的決め付けがありうることだ。


だが、少なくとも少数ながら、どんな意見でも発表が許されていることは貴重なのだ。


きむじょんにるの北朝鮮が、時代からどんどん遅れてゆく姿を、インターネットを通じてなま暖かく見守ることが続きそうだ。


 

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2009年03月22日

春分の日の産経「正論」に現代アメリカの問題風潮を見る

現代アメリカの風潮と     その中に含んでいる 基本的な問題点を認識する出色のコメントを、春分の日の産経新聞・正論に見つけました。 この現代アメリカの風潮としましたが、アメリカという類似がまれな国家および国民に、良くも悪くもしみ付いた体質と見破るなら、アメリカとの付き合い方を考慮するときの重要な認識と知っておくことなのでありましょう。 つい最近のこと、アメリカ共和党員の一致した意見が 福祉社会にハンターイ というものと気付いて驚きました。 ヨーロッパおよび日本では、福祉社会=理想というのがそれぞれの国民の常識でありましょう。 世界には、社会の理想状態に対する意見に、大きな巾が存在し、それぞれをイデオロギーとして認識しておくことが必要なのでしょう。 健康で文化的な最低限度の生活を、政府が保証しようという憲法条文を国民が広く受容しているわが国とは異質な合衆国という認識を持ちましょう。(その憲法は決して押し付けではなかったことも認識しましょう。) その異質な合衆国の体質とは、 所得格差を縮めるよりは、富豪への夢を、貧しい人たちまでも、持ち続けているような社会風潮が根深いというのです。 ここで末尾に引用した加藤尚武さんのコラムを読んでいただくとして、 ソビエト崩壊後の現代の問題は、冷たい戦争に勝利した合衆国のこの体質の問題点が世界に対して持っていると認識することです。 アメリカは経済的にうまくいってないのです。 貿易収支がアンバランスであります。 資源の浪費を続けています。 社会的な格差を拡大しています。 それでありながら、その延長上に思考しているのですから、アメリカ合衆国は、今までの経済を続けることは困難な状況にあります。  いくらオバマさんが、チェンジ=改革を叫んでも、基本に気付いていないようです。 恐らく失敗することでありましょう。加藤尚武さんfnc0903200329001-p1.jpg 【正論】京都大学名誉教授・加藤尚武 アメリカ経済の危うい仕組み    ↓続きを読む(クリック)↓
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2009年01月13日

29年後に公開された東條英樹の述懐

東條英機は 、敗戦・占領直後に戦犯指名され、連行というタイミング(昭和20年9月)にピストル自殺を図った。
弾が急所をそれた。
占領軍当局がは病院へ搬送のうえ、輸血手術、手当て、看護をした。命をとりとめた。

助かってしまったときの述懐が、実に29年後の昭和49(1974)年になって公開された。

公開がこのように遅らされた事情を、保坂正康さんは、

東條のあまりにも素朴な自省は、開戦時の首相としては不謹慎に過ぎるからである。この程度の認識もなしに戦争に突入したとすれば、それはかなり由々しき問題と受けとめられてもしかたなかったと、関係者は恐れた。(P593)                  としている。
東條英機と天皇の時代東條英機と天皇の時代
(2005/11)
保阪 正康

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(東條の述懐)
統帥権独立は結果的に誤りであり、これによって軍内の下剋上の思想がはびこった。
それが陸軍の横暴につながった。    

さらにアメリカのデモクラシーについて
「治療を受けるあいだ付き添ってくれたアメリカのMPは立派だった。社会の動きにもそれなりの見識をもっていた。

教育程度も高いからだろうが、国民に知らせ、自覚をもたせ、これを掌握すれば力となる。アメリカのデモクラシーはこの点にあったのだ」

日米交渉の反省
「日米両国はともに虚心坦懐に東亜安定の基礎確立のために、直接交渉して、和平の途を勇敢に講じてみるべきではなかったか」

〜〜〜〜
陸軍大臣だったときに、戦陣訓 を制定した。有名な、生きて虜囚の辱めを受けるな というものであったから、自殺未遂は 大スキャンダル。そういう非難殺到中での上記述懐は、率直なものであったとしてとても、一般公開できなかった。

補足:東條英機と天皇の時代には、上記の信じがたいような述懐以前に、当時の日本政府代表の鈴木九萬(外務省)にも、会見のたび
 「自分は生きながらえる考えはない。アイケルバーガー中将が、自ら病院に来て、かゆいところに手の届くような手厚い看護をしてくれるのて感謝に堪えない」(一回目)
「死ぬのはやめにした。法定で所信を述べ戦争責任をとりた」(二回目)
と述懐したとあり、上記の述懐を裏付けている。さらに、無関心な態度の日本政府に対し、
「アメリカの将校は徳義が高い」とか「わが陸軍からは誰も見舞いにこない」とまでもらしたという。

著者:保阪正康さんは、
状況のなかで容易に思考を変質させてしまう東條独特の無定見さ
思想や世界観がないゆえに、ただ状況に反応するだけ
と喝破している。

☆まことに信じがたいが、極悪戦犯の実相は、このようなものだった。

今、小生は、ほぼこのときの東條英機と同じ年代となり、

東條への理解とともに、もののはずみで重大な役割を与えられ、分不相応な重大事を、無定見で、なりゆき次第なのに、わめきちらして強行を繰り返したあげくの大東亜戦争という全国民ばかりかアジアの人びとへの不幸を与えたことを知る。

本書で、東條英機が首相となって、それまでの慣行と違い、昭和天皇へ何度も足を運び、なんらかの企画案を清書でなく、下書き状態の段階で指図をあおいだと、明らかにしている。
⇒これは、上司へのゴマスリの一種であり、部下が可愛がってもらう秘訣の一つである。そういうことよりも、自ら考えて発案する能力に欠けているからそういうことをするのである。自信のなさである。実態を把握できていないことの証明とすべきなのである。
上司としては気をつけねばならないのだが、そういう無能の部下は重用してはならないのである。そういうことに、とても気付く能力のない昭和天皇であった。
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2009年01月10日

不幸にも予言的中・・・直江津歩著 サブプライム危機終わりなき悪夢 アメリカがヤバい!

本書を経済の歴史上の一局面を後世に伝えておく書物として暫定的に推薦したいと考えます。 (もっと総合的に分かりやすく書き残す書物が出たら推薦を差し替えるとします。) サブプライム危機の最悪のシナリオでは、 アメリカの景気後退が、日本はじめ中国インドなど新興諸国に及ぶという予測でした。 ドル株式不動産が大暴落 世界恐慌になると可能性でした。 不幸にもほとんど全てが最悪方向に 完全に予言が的中してしまいました。
サブプライム危機 終わりなき悪夢 アメリカがヤバい!サブプライム危機 終わりなき悪夢 アメリカがヤバい! (2008/03/19) 直江津 歩 商品詳細を見る
歴史上では、 1980年代・昭和末期の日本列島のバブルがありました。(それ以前に1970年代に列島改造ブームという小バブルもあり) これへの対応がモタついて失われた10年(あるいは15年)という時代が続き、その記憶が残ったまま今回の世界大不況に巻き込まれました。以前 1920年代アメリカフロリダ半島の不動産バブルはじけた後に大きな破裂となった株式暴落 など 経済史のうえで特筆しておくべき事件に追加すべき記録が出現してきました。 経済学の歴史でも皮肉です。 恐慌論だとかバブル論などまじめに研究した少数の学者たちは転向してしまい恐慌が忘れられたというよりも、研究そのものが存在したのかも忘れられていました。恐慌なんてことは経済学や統計が進歩したから起き得ないと確信して久しく経過したころに世界の恐慌が実現しました。 本年正月、本書を読み返して不幸にも続々と本書の予言が的中していった実感を抱きなおした次第です。 2000年代は、不動産の世界的バブル、中でもアメリカの不良貸し出しバブルを大きく増幅した金融工学の事情もヒドいものでした。 昨年3月に書かれた本書の場合、まだ 原料インフレ などというコトバも出てきています。 真実の恐慌となれば、インフレはあり得ません。どうやら、昨今になって 原油価格も大きく下落しつつあります。 日本人は全体平均では、原油や穀物の価格が2〜3倍という少しばかり上昇したとしても、少し困るだけでしたから、そう大騒ぎになりませんでした。一方で世界的には特にアフリカなどでは貧しい人が多くて穀物つまりパンやご飯を食べることができなくなったことでしょう。 相場は、そのときが上昇の限界だったでしょう。 相場商品の上下幅にも限度が存在することを忘れたかのような一時の相場状況でした。 最近は落ち着いてきたようです。 (それどころか暴落=下落し過ぎ傾向のようです。多分、不動産が思わしくなくなって別の相場商品に手を出したがる相場師・懲りない人びとの残党が活動していたのでありましょう。)
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2008年10月19日

中国当局の宣伝のお粗末・・・日本の基礎的知識を欠いた博物館

中国の軍事革命博物館なのだそうだ。

日本風のよろい兜の写真がある。
説明がついている。

元至元二年(1336年),日本内部分裂以天皇醍醐和大封建主足利尊氏首的南北朝,相互攻伐不已。 乱中的兵将,亡命海,与冒商人相合,到中国沿海行走私和狂掠。些武士、浪人和商人被称"倭寇"。中国境内的一些主、海寇、奸商和流氓分子也乘机打劫,与倭寇狼奸,害百姓。明朝政府防止倭寇的侵,不断加海防,所以在嘉靖以前然不断有倭寇来犯,但未成大。至嘉靖期,明朝国衰微,弛,使倭患日重,沿海人民深受其害。嘉靖后期,明廷起用大猷、戚光等抗倭名将。他新,改法,使抗倭力大掾C相在浙江、福建、广等地倭寇以重。嘉靖四十五 (1566年),底剿倭患,中国人民的抗倭斗争最以利而告束。   
1987年,南京市材公司退休工人道先生将副收藏多年的倭寇甲捐献了事博物,在列于古代争。副甲除缺一珠外,其它完整无。其口有甲的制造日期"正平六年十二月一日"的字。"正平"日本年号,相当于元至正十一年(1351年),也正是日本倭寇形成并不断侵和掠我国南沿海的期。副甲是日本侵略我国的罪。它的展出会不断激人的民族感情和国忱,激励人建立一个大的中国而斗不息。
 
上記文章の最後の部分は

 この甲冑には正平6年(1351年)12月1日の銘があり、
 これは丁度日本倭寇が絶えず中国沿岸を侵略略奪した時期だから、
 この甲冑は中国への日本の侵略の罪悪の確証である。
 
というものらしい。

 誤りが上記にある。
 
正平革というものへの無理解である。

編集鎧と兜山上八郎ほか.JPG
鎧と兜 (1975年) という書物の中で山上八郎さんは、

正平というのは南北朝時代の年号だが、
正平革の鎧兜で、
現存する一番古いものでも室町時代のもので
江戸時代の正平革もいっぱい残っている      と書かれている。
 
ちなみに、熊本県の革職人集団が、南朝の懐良親王から正平年間に免許されたとして、大量生産した革の柄に 正平○年○日○日 というものがある というだけのこと。

その正平年代以後を示すことはあってもまったく年代特定のようなものではない。

この程度のことすら、わきまえない中国当局のお粗末さを 軽蔑してあざ笑うことも今、やむをえないことであろう。
中国当局とは、科学的社会主義なるものを主唱する支配者集団なのであるが、まるで非科学的な言いがかり集団と十分に知っておくことも役立つことであろう。

なお、中国の博物館写真の鎧兜は、中世のものでなく、近世・戦国時代16世紀ころの

当世具足らしいと シロウトの私にもわかる。
タグ:正平
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2008年10月03日

家宝の行方 小田部雄次著 に資産家の没落事情を見る そして財産税の凄さも

古美術品業界の一面の話題である。
第一次大戦のころから、没落しかけた旧家(公家旧大名など華族が多い)が売り出しの中心で、成金などと呼ばれた新興資産家が買い手の中心で、アジア太平洋戦前では、第一次大戦中の好景気時期に目立った古美術品のことが書かれる。権威と地位は高かったが近代化進展に対応できず、没落線上で家の宝物を売り出す旧家も多かった。

競売の売りたて目録が4000種冊以上も残っていて、その分析が描かれる。
家宝の行方―美術品が語る名家の明治・大正・昭和家宝の行方―美術品が語る名家の明治・大正・昭和
(2004/10)
小田部 雄次

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本書で、戦後の財産税の実施が華族たちに痛烈な状況をもたらしたことが印象的である。

古美術品の組織だった競売のための売りたて目録がほとんど残っていない。
組織だった競売などできなかったから目録すら残らないままにツテを求めて売り払ったのだ。

個人的に売り先を探してというより、家事を切り盛りしてきたシロウトに近い、昔からの家老たち、事務員たちが思い思いに売るしかなかった。

敗戦後の昭和21年11月12日に公布された財産税とその適用
財産税は同年3月3日時点での個人財産に賦課され、最高税率90%にも及び、納税時期は翌年3月とされた。株式国債、または土地などによる物納が認められたがわずか数ヶ月の間に納税しなければならなかった。(P141)

池田成彬家の場合
純財産額375万円の54%の204万円納付して171万円が残余

団琢磨家の場合
純財産額712万円の76%の541万円納付して171万円が残余
 
益田孝家の場合
純財産額2012万円の83%の1672万円納付した340万円が残余
(この財産のうち美術品がはじめ300万円と申告、のち800万円と修正とある・・・※)
 
田安徳川家の場合、
昭和10年あたりから次第に逼迫しはじめ、ようやく生き残った戦後には、空襲で東京の家も焼けてしまい、家族が住むところにも苦労し、あげくの果ては相続税、財産税で、他人に貸してあったりした残された財産のほとんどが、物納でなくなってしまった。(P112)
 

※ 先に酷い間違いだと指摘したことがあるが、
元日銀マンが教える預金封鎖元日銀マンが教える預金封鎖
(2004/04/02)
本吉 正雄

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の本のP69に、
戦後の財産税徴収は金融資産だけに実施された というのが誤りと分かる。
 
昭和22年実施の財産税は、金融資産だけでなく、土地家屋や美術品まで金額に評価査定して課税されたのである。
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2008年09月19日

古代史の九州王朝説に新展開予感・・・ご遺体を収めた棺(ひつぎ)は海を1000キロ運ばれたらしい

不思議なことがささやかれていました。

関西の、大きな古墳は九州の王者のお墓だ と、そういうものです。
1000キロの海を渡った「大王の棺」―九州から大阪、実験考古学の航海が解く古墳の謎1000キロの海を渡った「大王の棺」―九州から大阪、実験考古学の航海が解く古墳の謎
(2008/04)
澤宮 優

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実は、関西の大きな、大王級の古墳の棺(ひつぎ)に限っては、(ほかの小さな古墳は別として)多くが九州産の石でできていたのです。
 その大きな棺(ひつぎ)を九州から大阪まで運ぶ実験が行われました。成功のようです。
 
この本では、石の棺は関西の大王が、九州から購入したかの書き方ですが、

大王クラスの古墳に限って九州産 ということの説明が難しいでしょう。
 
なぜ、関西の、近くの石でないのか?
 
棺だけ遠くから入手せねばならぬ理由が何かあるのでしょうか?

古代史の事実は、想像を絶する事情がありそうです。
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2008年08月03日

古代史の九州王朝説が新展開の予感・・・古代に真実を求めて第11集

このブログは戦後史現代評論だけのつもりでしたが、例外として今回は古代史を取り上げます。

昭和40年代末期は古代史ブームでした。

戦時中に、古事記日本書紀神話を歴史としてきたのが、戦後に否定され、科学的客観的と思われる中国古代文献に、邪馬台国なるものの記録があり、239(正しくは238)年使者を洛陽まで派遣したと、そこまでハッキリしながら、その国が
 
九州にあったものか、近畿にあったものか  学者が論争していて決着がつかない・・・・
 
教科書の記述は魅力的にでした。

魏志倭人伝などの中国正史にある倭国日本の記録が岩波文庫に入って誰でも読むことができ、論争の内容が一般書になって販売され多くの人びとが読みました。(実は出版社の商業主義に乗る人が多くいました。) 

シロウトたちの勝手な古代史出版ブームが終わる頃、一人の半シロウト学者として、古田武彦さんが登場しました。

失われた九州王朝という仮説主張でした。 


古代に真実を求めて 第11集―古田史学論集 (11)
古代に真実を求めて 第11集―古田史学論集 (11)
(2008/04)
古田史学の会

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現在、古田さんを支持する人たちの年刊雑誌の第11集が出ています。

この半シロウト集団が、とうとう古代史を書き換えさせるレベルを主張し始めた。
そう判断できるのが、正木裕さんが指摘する

 34年遡上 現象です。

私にも、本書以外の34年遡上をいくつか見つけられます。(本書ほど精密でないのですが)

考古学者がだらしないから、九州王朝仮説の証明ないし大半の学者の賛同は当分困難であろうと
考えていましたが、どうやら、

加速的に賛同増加に向かってもおかしくなくなる展開が予想できます。
posted by のんびりへんじん at 13:00| 神奈川 霧| Comment(0) | TrackBack(0) | 現代姿 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年07月09日

SEESAAブログがちかごろ変なんです・・・投稿がやりにくいのでしばらく休みます

私だけかも知れません。

SEESAAの投稿ページ=今、私が取り組んでるのです。

モーレツに反応が鈍いのです。

我慢できません。

記事投稿時にとても変なんです。

モーレツに反応が鈍いのです。

そういう理由でしばしこのブログを休みます。

(初版20080503)


続きを読む転載先が決まったらここに
タグ:Seesaa
posted by のんびりへんじん at 13:07| 神奈川 雨| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記その他 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

象徴天皇制度を押しつけた人たちの常識・・・ウェストミンスター憲章1931年

占領当局が押し付けた憲法改正原案に、天皇については「象徴」と規定されていた。
当局に、そのような権限があったかなどの議論ばかりある。聞き飽きた。)

象徴とは、かれらは、どういうものと認識していたのかという説明を、私は生まれて64年経過してはじめて、読んだ。

英米人が、
実権をふるわず、形式的、儀礼的役割の君主の名称を考えれば「シンボル」に行き着くという。(P243)
占領期 首相たちの新日本 (講談社学術文庫)占領期 首相たちの新日本 (講談社学術文庫)
(2007/07/11)
五百旗頭 真

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1931年イギリス連邦を定めたウェストミンスター憲章に、王位(クラウン)は

「自由な連合の象徴」と規定ある。

ケーディス民生部長の下で、天皇条項小委員会で検討したプール少尉はイギリスモデルで、この言葉に至ったと言う。

(SEESAAブログ不調 いったん 中断します)
posted by のんびりへんじん at 12:49| 神奈川 曇り| Comment(0) | TrackBack(0) | 皇室制度(≒天皇制) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年06月05日

保阪流昭和史に補正すること

私は例えば財産税の実施(昭和22年)を指摘します。

資産家47万6千人が税率に応じて最高90%の財産没収が事実上実行された。

これが日本の社会構成に及んだ影響は甚大なものであったと知ったからです。

当時の日本人の目の前で公然と起こったことなのに忘れられてしまっています。

戦前と戦後とで、人びとが貧富の差を問題視する仕方がまったく変化しています。

戦前には、天皇家をはじめ少数の貴族1,000家(華族制度と言いました)、三井・三菱などの財閥、大地主として本間家(山形酒田)ほか新潟県には千町歩地主が10家ほどあった。

津島家(青森津軽)は220町歩程度で貴族院議員だった。(この家に作家太宰治が出て小説「斜陽」を書いた。)これらが揃って没落しました。

歴史を動かした昭和史の真相200―激動と波乱の時代の真相を抉る!歴史を動かした昭和史の真相200―激動と波乱の時代の真相を抉る!
(2003/09)
保阪 正康

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本書で(第107項)戦後最初の長者番付(P138)は戦後成金のリストになってしまっているが、戦前の長者との対比ではインフレのためとしか書いていない。

財産税のことを著者は認識を持たないらしい。
 
インフレ対策として、また、政府の歳入対策として
昭和22年2〜3月に、財産税が強行されたのである。

そのため、戦前からの資産家は、財産を政府にむしり取られて、すっかり没落した。

長者番付に新登場したのが、戦後成金だった。インフレ効果を考慮したならば、このときの長者横綱は、戦前基準の10分の一以下の所得だった。

恐ろしい平等化が、起きた。

posted by のんびりへんじん at 19:49| 神奈川 雨| Comment(0) | TrackBack(0) | 財産への課税 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年05月04日

五年内の暴落予言が4年前だった・・・地価「最終」暴落(立木信著)光文社ペ−パーバク

昨年来、アメリカ発のサブプライム問題発覚以降、顕著な日本の地価下落。

そうは言いながら、日本の地価暴落を4年前から予言していた書物があった。
地価「最終」暴落 (ペーパーバックス)地価「最終」暴落 (ペーパーバックス)
(2004/10/22)
立木 信

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本書のP67以下では、5年内の半値以下が予言されている。

かつて不動産恐慌がやってくる(1988ダイヤモンド社)という予言の書物があった。(初版年次に注目してもらいたい。昭和末期のバブル崩壊を、事態発覚前に見事に言い当てていた。米田匠滋著)

さて、平成の不動産暴落は、今回も予言的中しそうだ。

posted by のんびりへんじん at 00:00| 神奈川 曇り| Comment(0) | TrackBack(0) | 現代姿 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年04月08日

いまどきのテレビ関係者・・・クイズ番組の裏側

鶴ケ城は「不衛生」じゃなかった TBSが会津若松市に放送で謝罪へ
2008.4.8 09:19


 TBS系のクイズ番組で、戊辰(ぼしん)戦争時に福島県会津若松市の鶴ケ城が落城した原因を「城が不衛生だった」とされたことに同市などが抗議していた問題で、TBSは8日午後の放送で謝罪する。

 問題の番組は、2月16日に全国放送された「歴史王グランプリ2008まさか!の日本史雑学クイズ100連発!」。

「旧幕府軍が城を明け渡したとんでもない理由とは」との出題で

「ふん尿が城にたまって不衛生だった」が正解とされた
posted by のんびりへんじん at 10:53| 神奈川 雨| Comment(0) | TrackBack(0) | 現代姿 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年12月03日

もう戦争が始まって日本は巻き込まれているとでも言うのでしょうか?

戦後日本は戦争をしてきた (角川oneテーマ21 A 75) / 姜 尚中、小森 陽一 他という変てこな対談をしている人たちがいる。

この二人の、お友達が
時代は新たな「戦前」、いやすでに「戦中」だ戦後責任論 (講談社学術文庫) / 高橋 哲哉の文庫版へのまえがき)とのたまう。

これらの人びとは、川人博さんの言う北朝鮮の御用学者と言うにふさわしい。
金正日と日本の知識人―アジアに正義ある平和を (講談社現代新書 1897) 金正日と日本の知識人―アジアに正義ある平和を (講談社現代新書 1897)
川人 博 (2007/06/21)
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状況を判断すると、サヨク系の論説が、こうまでも非難されるようになったのはつい最近のことだ。

慰安婦は言うけれど拉致被害者には言及しない。

戦争犯罪など言うけれど シベリヤ抑留 は言わない。

末期症状がいろんな形で発作している。
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ヒトラー流の壮大な嘘を表題に・・・姜尚中・小森陽一「戦後日本は戦争をしてきた」角川書店(転載)

ひどい!大嘘だ!

朝鮮半島は戦後からずーーーっと戦争状態が長く継続した。

それと日本とは、地理上の距離が近いから間接的に影響しあったとしても、直接の関係で言われることはない。

むしろ、アメリカ政府が日本政府に対して

「抗中援韓」=再軍備かつ出兵 を強要するのをかわして警察予備隊を組織しただけでアメリカの要求をかわしたのが真相だ。
(中共軍は「抗米援朝」と言い、越境出兵したのだ。)
戦後日本は戦争をしてきた (角川oneテーマ21 A 75) 戦後日本は戦争をしてきた (角川oneテーマ21 A 75)
姜 尚中、小森 陽一 他 (2007/11)
角川書店
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日本の戦後の自重した行動が、その後の北東アジアの平和継続に大貢献したのが真相だ。

それを、逆説して大うけねらうのだろう。

すでに金正日と日本の知識人―アジアに正義ある平和を (講談社現代新書) / 川人 博では姜尚中は、北朝鮮の御用学者とまで決めつけされる。

帝政ロシアでの、ヒトラードイツでの、ソビエトでの
愚民政治の分析が本書に出てくる。それでありながら現在のチャイナや北朝鮮の同様の事情には何も言わない。

「イデオロギー人間」が系統的に作り出される場所は、国家装置としての学校(P44)など言うのは今の北京政府のチャイナ、北朝鮮のことだろうに、そういう配慮なしに言説展開してゆく。
恐ろしい人たちだ。

見捨てられた人々(P75)と言うのが北朝鮮のことでないのだから恐ろしい。
posted by のんびりへんじん at 13:00| 神奈川 晴れ| Comment(0) | TrackBack(0) | コリアチャイナ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年12月02日

日本軍に銃口を向けられた記憶をもつ沖縄の人たち?・・・ホントにそういう人が何人いたのかしら?

例の11万人論争バトル論争につながる、もともとの話題だ。

東京大学の哲学者が、

日本軍に銃口を向けられた記憶をもつ沖縄の人たち(高橋哲哉「戦後責任論」講談社学術文庫P169)と言う。

沖縄には、そういう、
銃口を向けられて集団自決させられた人たちが 
ホントに存在したことの証明は、まったく無い まま、証明不要の前提で主張が展開記述されている、この論文が学術文庫に収納されている。
戦後責任論 (講談社学術文庫) 戦後責任論 (講談社学術文庫)
高橋 哲哉 (2005/04)
講談社
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この男は、私よりも一回り若いのだから、もう少し、私よりも知見が広くなっていておかしくない。

だのに、自虐偏向は物凄い。自虐の権化を感じつつ本書を読んだ。

事実なのかどうか、あやふやとされる事を信じきって議論の前提としている。

あの戦争が「侵略戦争」だったという判断(P218)
軍による強制売春(P192)
兵士や国民の責任(P259)

帝国主義諸国が相互に侵略しあった
強制などしなくても、日本朝鮮チャイナの街中いたるところに売春宿が存在あいた
自由言論などしたらば、文字通り懲罰のため徴兵が行われた  こんなこと知らない一方で、自分の結論に都合よい、(実はあやふやな)それらしい事実から議論を開始するのだ。

この態度は、科学者ではない。

戦前の東京大学には、右翼に偏向した学者が相当数に存在した。(天皇と東大 大日本帝国の生と死 上 / 立花 隆天皇と東大 大日本帝国の生と死 下 / 立花 隆

東京大学には、今現在も、科学者でなくて

偏向した異常な思想家 も存在することを知っておこう。

狂信者 の系譜を作るべきだろう。
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2007年12月01日

24年後の誤報訂正・・・朝日新聞の体質:結果として大変な誤りを犯してしまった

朝日新聞の体質が、露呈した。

1982年、当時、日本の教科書検定で「侵略」を「進出」と書き換えたと誤報したのはほとんどの大新聞であった。
ところが、産経新聞は事実は誤報と気付いたので、直後日に訂正を記載するとともに、共同誤報の事情まで詳細に報道した。(検定の内容チェックは10種類ほどの教科書を各新聞社が分担したという、相互馴れ合いの仲から発生した。)

産経新聞は、のちに雑誌「正論」でも
「侵略」から「進出」への書き換えの事実はなかった記事を掲載した。(渡部昇一「一犬、虚に吠え万犬実に伝う」)

私は、当時から誤報というよりも、途方もない虚報が広まって後日の教科書問題だの、歴史認識問題だのが深く広く展開してゆく事情を見てきた。

それで、最後まで誤報を謝罪しなかったのが朝日新聞であった。

ところが謝罪をしたと言う。
朝日新聞社説】2006年04月04日(火曜日)付

侵略と進出 事実を踏まえ論じよう

 中国との外交などをテーマにした日曜日のテレビ番組で、安倍官房長官が82年の「教科書書き換え問題」について発言した。次のような趣旨である。

 教科書検定によって「侵略」を「進出」に改めたと報じられ、中国や韓国から抗議された。日本は官房長官談話で事実上それを認め、謝罪した。しかし、「進出」と書き換えられた事実はなかった。ちゃんと調べて説明すればよかった。結果として大変な誤りを犯してしまった――。

 政府のスポークスマンの発言である。検定で「侵略」という言葉を書き換えさせたことはまったくなかったと受けとめた人が多いのではないか。

 また当時の政府は事実を調べもしないまま、官房長官談話を出して中国などに謝った。そう思った人もいるだろう。

 しかし、いずれも事実とは異なる。

 教科書の書き換えが問題になったのは24年前だ。若い人は知らないし、記憶が薄れた人も多いだろう。そんな中で、事実の一部だけを取り上げ、当時の政府判断を誤りと決めつけるような発言がそのまま独り歩きしては困る。これを機に、事実のおさらいをしておきたい。

 82年6月、高校の教科書について検定結果が報道された。朝日新聞を含め多くの新聞や放送が、「華北を侵略」という記述が検定によって「華北に進出」に変えられたなどと伝えた。

 ところが、その後、「華北に進出」という表現は検定前から書かれていたことがわかった。その限りでは、安倍氏の指摘した事実はある。当時のずさんな取材を率直に反省したい。

 では、「侵略」という言葉がすんなり検定を通るような状況だったかといえば、そうではない。中国との関係に限っても「侵略」の言葉を削られたり、「侵入」に変えさせられたりする変更が計4カ所あった。東南アジアについては「侵略」を「進出」に変えた例もあった。

 それ以前の検定では、中国との関係で「侵略」を「進出」に書き換えさせられたこともあった。

 82年の検定では、韓国も独立運動などの記述をめぐって訂正を求めた。

 文部省幹部らが中国へ派遣され、自民党の三塚博、森喜朗両氏は韓国を訪れて説明した。この後、宮沢喜一官房長官が検定のあり方を改める談話を出した。

 「華北に進出」と書き換えられた事実はなかったが、ほかの例や過去の検定を見れば、同じような問題がある。そう判断したからこそ、政府は官房長官談話を出したのだろう。

 これを受けて、検定基準に「近隣諸国条項」が加えられた。アジア諸国との歴史的な関係に配慮するというものだ。

 歴史への反省を踏まえた当時の官房長官談話を否定するかのような、現在の官房長官の発言は、政府の姿勢に疑念を抱かせかねない。テレビでの発言が意を尽くしていないのならば、改めて言葉を補った方がよくはないか。

〜〜〜〜〜

☆以上、ようやく朝日新聞が誤報を認めた社説である。

私は朝日新聞が、この誤報を認めたことを
日本は中国でどう教えられているのか (平凡社新書 398) 日本は中国でどう教えられているのか (平凡社新書 398)
西村 克仁 (2007/11)
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という書物からようやく知った。(P125)

社説を読めば分ることですが、朝日新聞は、論理をすり替えて、素直に謝罪しません。

実は、この大新聞の、ゴーマン体質は歴史的なものです。

アジア太平洋戦争以前から、軍国主義をあおったのは、大新聞でした。ほぼ、満州事変ころから国民に真実を知らせなかったのです。その時から20年も経過しないうちに、敗戦しました。
新聞社の戦争責任、実は物凄く大きかったのです。

彼らこそ真実を伝える使命を果さなかったのです。

今でも朝日新聞は、ほとんどの誤報を認めようとしません。

アカヒ新聞となじりたくなります。

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2007年11月26日

余りにも大好評だった・・・嫌韓VS反日:排外意識の相互理解

余りにも大好評だった
新発売から、たちまち30万部という記録的マンガが出た。
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余りにも大好評だったので@

続編続々編が出た。
マンガ嫌韓流2 (晋遊舎ムックシリーズ) マンガ嫌韓流2 (晋遊舎ムックシリーズ)
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余りにも大好評だったのでA

韓国ではこうゆう対抗マンガコミックが出た。(気の毒だが蔑笑レベルらしいのだが・・・)
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余りにも大好評だったもんでB
マンガにオンチ世代人(例えば私のんびりへんじん)向けの解説書が出た。
マンガ嫌韓流の真実! (宝島社文庫 (596)) マンガ嫌韓流の真実! (宝島社文庫 (596))
大月 隆寛、野村 旗守 他 (2007/09)
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韓流という両国にとり喜ばしい風潮への違和感異論という意味合いも込めて、登場した嫌韓流だった。
世の中には別の意識もあることを見せつつ、既存マスコミたちが呆れつつ、無視黙視の中でベストに近い売れ行きマンガであった。

マンガの軽い落ち着きに読者を乗せて、実は正直に言いたい事を表現する人たち・・・日本には続いて、このような大人(ターレン=チャイナに昔は存在した おとな・有力者)が育って欲しいと思います。
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反日事業を推進しよう! これが失業対策とチャイナでは・・・中国人大批判(金文学著)に引用してある

十数億の中国人を動員して反日せよ。
政府はひとつの産業として発展していけば、間違いなく一挙多得になるのだ。
中国の大量的失業は、中国社会の隠れた災禍であるので、反日事業を起こして反日基金を設立し、反日事業を声援すれば、失業問題を解決する方法となる。

職に就いていない多くの大学生文化人を、政府が使命感をもって登用すべきだ。なぜなら、中国の反日は、日本の侵略虐殺素材をかきあつめるのが必要だから、文化人を動員して大量に反日作品を書かせれば、反日のための精神的糧(かて)を準備できるばかりでなく、大学生、文化人のよい解決策になる。
中国内部では者気的矛盾が激増し、危機は随時に爆発する可能性がある。そんなか、反日こそ平民百姓の憤怒を外に向けさせる、素晴らしいハケ口である。中国人民は社会の大変革に上手く対応できないゆえ、巨大な圧力(ストレス)を発散する穴がない。不満情緒の長期化は望ましいことだはない。反日は中国人のストレスのよい噴出口になるので、政府は全力を尽くして支持し、資金面でも激励せよ・・・(P50)
中国人による中国人大批判 (祥伝社黄金文庫) 中国人による中国人大批判 (祥伝社黄金文庫)
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『天下論壇』2003年8月31日号インターネットに掲載とあるのでした。

☆もうチャイナへの経済援助なんてやめちまおう。
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2007年11月18日

自ら抗日軍を率いた毛沢東周恩来ケ小平が当時の田中総理はじめ日本側の謝罪を受け入れた

2004年初版の日本はもう中国に謝罪しなくていい / 馬立 誠によると
1972年9月の日中共同声明で、毛沢東と周恩来は、日本が示した「反省」の形による謝罪を受け入れた(P92)。
また
1974年ケ小平は日本人訪中団に上記と同じ考えを述べた。

1978年8月日中平和友好条約には先の共同声明の諸原則が強調された。
1978年10月来日したケ小平は「過去のことは過去の事として、今後は積極的に前を見なければならない」と昭和天皇との会見で語った。(*)

毛沢東周恩来ケ小平は自ら抗日戦争を率いた人物でありながら、三人とも大きな度量を示し大局を重視する能力を備えていた。

なのに、三十年後の今日、我々は「積極的に前を見る」ことを拒み、逆に後退しようというのか。(P93)


(*)本書にはないし、私のんびりへんじん自身が未確認のことだが、このとき、昭和天皇からの「ご迷惑」をかけたとの言葉にケ小平は感激したと言う。

チャイナ政府の公式の言動とは別に本書では江沢民以前のチャイナ政府の基本路線を指摘している。
チャイナ政府は歴史問題などと口軽く発言するが、実はご都合しだいで忘れっぽくって厚顔なことは、同国人でも嫌だと感じて直言することがある。
日本はもう中国に謝罪しなくていい 日本はもう中国に謝罪しなくていい
馬立 誠 (2004/02/18)
文藝春秋
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本書自体がチャイナで公刊されるほどの自由がチャイナにあるとは思えないが、迫害覚悟でと言うよりは、正義のため、真の友好のため 勇気ある提唱である。

参考にしたいのは、韓国の事例である。
親日派のための弁明 / 金 完燮は、韓国ではビニ本として出版できた。

政治的、法律的には許されるが、過激言論は暴力容認である。(言論には言論で対抗することができない、未開人はどこにもいるが、後進韓国には多い。)

この著者は危険を感じて、家族を海外へ非難居住させたのち、
親日派のための弁明〈2〉英雄の虚像、日帝の実像 (扶桑社文庫) / 金 宇燮を出版した。
韓国でもそういうレベルの国なのだ。

チャイナに至っては、限りなく金氏朝鮮に近いのだ。
posted by のんびりへんじん at 12:00| 神奈川 雨| Comment(0) | TrackBack(0) | コリアチャイナ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする