戦後史をテーマに

2011年03月20日

福島原発:ロシア科学者たちの分析

世界中の人たちが福島原発の行方を見守っています。日本から遠く離れたアメリカでも、「間もなくハワイとアメリカに放射性物質が飛んでくるので、XXを摂取しましょう」などと呼びかけるメルマガなども発信され、私のところにも送られてきました。その他諸外国のテレビ番組などはほとんどパニックに陥っているかのような報道ぶりです。それらをみると、気分が悪くなってきます。
しかしロシアのテレビ放送では、チェルノブイリを経験した核物理学者たちを呼んで冷静に議論し、彼らの「福島原発は決してチェルノブイリのようにはならない」という明確な見解を流しています。そのなかの何人かはすでに日本に到着しており、技術的な援助の準備に入っているようです。
このテレビ放送は日本でも契約すれば見ることができます。3月16日にそれを見た私の友人が内容を英訳して本日送ってくれました。以下にそれを掲載しますので、不必要な不安や恐れをいだくことがないようにお願いいたします。
〜以下日本語訳の要約です〜
ロシアのトップレベルの核物理学者(原発専門家)たちによると、今回の福島原発の事故により、深刻な放射能汚染は起こらないだろうとのことです。その根拠として彼らが言ったことをまとめると次のようになります。
震災直後の期間(3月11日〜15日)、本件に関する誤報が多くみられた。危機時の報道体制の弱さ、物理学や自然法則に関する誤解、原子炉の構造や運転に関する基本的な知識不足のためだろう。すべての報道にこの問題が見られた。
福島原発は、いわゆる沸騰水型の原子炉(BWR)。調理器でいえば、圧力なべのようなもの。核燃料が水を沸騰させ、圧力蒸気がタービンを回して発電したあと蒸気は冷やされて水となり、再び核燃料のところに戻されて沸騰しタービンを回す。この繰り返しで発電されるというわけ。この圧力なべ(格納容器)は250℃で運転される。
核燃料に使われているのは酸化ウラン。これは3,000℃にならないと溶けないセラミックで、それがジルコニウム合金製の細長い筒状の容器の中に密閉されて入っている。この容器が溶ける温度は2,200℃だ。これが燃料棒と呼ばれているもの。そして何本もの燃料棒が反応炉に収められている。これがいわゆる炉心(コア)である。
このようにコアは、ジルコニウム合金の筒(燃料棒)、格納容器、さらにパイプやポンプなどの装置も頑丈に密封されている。また、万が一最悪の事態(メルトダウン:炉心溶融)となったときのために、これらの施設はグラファイト(黒鉛)を混ぜたコンクリート基礎の上に設置されている。これが炉心溶融時の核物質を吸収する。それによってさらなる核反応は進まず、冷却に向かうことになる。
核燃料は核分裂によって熱を発生する。ウラニウム原子が小さな原子に分裂するわけだが、その時熱と中性子が発生する。この中性子が他のウラニウム原子に当たって、さらに核分裂が進行する。これが核連鎖反応と呼ばれるもの。たくさんの燃料棒をお互いにくっつけて置いておくと、オーバーヒートして45分後には燃料棒は溶け始める。しかしこの時点で核燃料が核爆弾のように爆発を起こすことは決してない。チェルノブイリ原発が爆発したのは、過剰な圧力が発生し、水素爆発が起こり、すべての格納施設を破壊して溶融核物質を環境中に放出した。しかし、これは今回福島原発では起こらない。なぜか?
まず、核連鎖反応を制御するため、制御棒が使われている。これが中性子を吸収し、瞬時に連鎖反応を無くしてしまう。運転中はこの制御棒をはずして反応を進めさせる。そして冷却水が熱せられ、上記のように蒸気がタービンを回して発電する。正常に運転されているときは250℃で、周りにいる私たちは安全なのである。
問題は、制御棒を入れ、核連鎖反応を止めたあとでも、核燃料が発熱することだ。ウラニウムには核連鎖反応が起こっていない。しかし、核分裂によって発生した放射性物質がそこに残っている。その主なものが放射性セシウムと放射性ヨウ素である(訳者注:これらは放射性同位元素といわれるもの)。そして、これらのセシウムとヨウ素はさらに小さな原子に分裂し、もはや放射能を帯びた物質ではなくなっていく。
放射性セシウムと放射性ヨウ素は崩壊を続けて熱を発生させるが、ウラニウムはすでに反応を止めているので、さらに放射性セシウムと放射性ヨウ素が発生することはない。したがってこれらの放射性原子による燃料棒は次第に冷えていくことだろう。しかし今私たちを悩ませているのは、この燃料棒にある放射性セシウムと放射性ヨウ素がさらに分裂して無害化するときに発生している熱だ。
今回問題となっている放射性物質には2種類のものがある。ひとつは燃料棒のなかにあるウラニウムと分裂してできた放射性セシウムと放射性ヨウ素だ。もうひとつは燃料棒の外で生成した放射性物質だが、これらは数秒のうちに放射能を半減させ、すぐに危険な物質ではなくなる。燃料棒の外で、水や空気に中性子が当たったことによってできた放射性物質は、すぐに安全な物質に変わってしまうのだ。放射性の窒素やキセノンガスなどがこれにあたる。
…地震時に原発に何が起こったか、たとえば津波によってバックアップ電源施設がなくなって、炉心を冷やす水が入れられなくなったことや、運転員の緊急時対応マニュアルに沿った対応などが説明されている(詳細はここでは省略します)…しかし、燃料棒をうまく冷やし続けることができない可能性が出てきた時点で多くの人たちがショックに陥り、皆が炉心溶融(メルトダウン)を心配し始めた…
しかし、炉心を2,200℃以下に保っていれば決してメルトダウンは起こらない。また圧力容器内の圧力がガス抜きによって低く保たれているので、容器が爆発を起こすことはないだろう(訳者注:このガスのなかには上で説明した2番目のタイプの放射性物質が含まれています。主にこれが原発周辺の放射性レベルを上げていると思われます)。
放射性窒素やその他の放射性ガスはすぐに安全な物質に変化してしまうので、ほとんど人間の健康に影響を及ぼすことはない。爆発が起こって建物の外壁が吹っ飛んだが、外壁はもともと放射性物質を遮蔽する設計にはなっていない。運転員が蒸気を直接環境へ放出させず、圧力容器と外壁のあいだに放出させて圧力容器の圧力を低減させたようだが、その時炉心温度が高かったので水分子が水素と酸素に分解され、それらが反応して爆発したのではないか。たが、チェルノブイリの時は圧力容器が爆発した。しかし福島原発ではチェルノブイリのような爆発は決して起こらないだろう(訳者注:圧力容器が爆発するというのは、原子爆弾が爆発するのと同じようなものだそうです)。
福島原発で起こっている放射能問題は、ウランの核分裂によって生じた放射性セシウムと放射性ヨウ素が蒸気に混じって環境に放出されていることだろう。現実に微量ながらこれらの物質が環境中から検出されている。しかし一番問題のウラニウムは完全にコントロールされている。燃料棒は3,000℃までは溶けることはない。…以下略…
〜要約終わり〜
ということで、事態はあまり深刻ではないようです。今日はヘリコプターや特殊放水車による放水も行われました。外部電源の作業も始まって、それが使えるようになれば冷却水をもっと送れるようになるでしょう。命がけで戦っている人たちにエールを送りましょう。私たちも知識不足のまま不安や恐れを抱えず、不動心をもって彼らの作業がうまくいくようにポジティブなエネルギーを送りましょう。そうすればきっとうまく解決していきます。
引き続き風が太平洋側に向かって吹くように、皆で瞑想し、祈りましょう(幸い今日は西から風が太平洋側に吹いてくれたようです。よかった!)。
と同時に、救援物資を待ち続けて寒い避難所生活を余儀なくされている人たちの無事を祈りましょう。

一刻も早く救援物資が届きますように。

(以上の記事を見つけました)
↓ ↓ ↓

http://www.eiichihojiro.jp/blog/?p=149

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posted by のんびりへんじん at 16:57| 神奈川 曇り| Comment(0) | TrackBack(0) | 現代姿 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年03月13日

帰宅困難者の仲間入り

昨日、早朝に帰宅できました。

一昨日、午後
FP3級の基金訓練講師の仕事が一段落しての帰宅途上、都営地下鉄は汐留駅にさしかかり、うとうとしていたところ
「ただいま、東京は地震が発生しており、発車を見合わせております。」というホーム放送が聞こえました。

目を開けると、ドアが空いているのでホームに停車中と分かりました。驚いたことに、がたがた、がたがたと、電車は

揺れ動いているのでした。このような場所で死ぬわけにはゆきませんから、飛び出しました。不思議なことに、

エスカレーターは動いていました。順調に地上寸前の1フロア下の通路まで出られました。上から落下物がないことを見極めつつ歩いて、JR新橋駅まで行きました。汐留から新橋までほとんど屋根付きの通路です。途中で日テレあたりの壁面大型ビジョンで地震は宮城北部と知り、まずは横浜の家族は無事だろうと想像しつつ安否の電話したり(不在留守録音)、メールしたり自分は無事でいることを一方的に伝えました。

SL広場は、人でいっぱいでした。ここでも大型ビジョンで次々と地震情報が伝わります。「1〜2時間で電車は動き出すだろう」と考えつつ私は、

駅前のコーヒーショップ・プロントへ入り、パスタを食べ、コーヒーで時間を過ごしました。時間待ちのつもりでいました。周囲の人たちの中には、私よりも機能優秀な携帯を持っています。時々刻々の最新情報が周囲へ伝わります。

家へ無事戻った長男からテレビ情報からの警告メールが届きました。
ネットカフェでも、ビジネスホテルでも予約したほうが良い。
今日は帰れないよ。       というものでした。

こういうときに、
JRは弱い(復旧が遅い)が、
私鉄は、ダイヤ復旧が早いもの。だから、対策する参考になることは知っていました。

結局、京浜急行を頼りに品川方面へ歩きました。浜松町まで来たところで、別の考えがうかび、モノレールへ寄りました。そのときはすぐにも動き出しそうな雰囲気も感じたのです。羽田行きモノレールの改札前には多くの人々が座り込みつつ待っていました。結局、

夜8時過ぎになって、「本日は終日、運転見合わせ」と公式放送があり、モノレールさえもが動かない状態と知りました。点検にとりかかることもできない状態らしいのでした。余震が続いていました。こうして、

私は帰宅困難者の仲間入りして、貿易センタービルの近くで一夜を過ごすことになりました。
モノレール改札前のコンコースは、天井が適度に低い箇所もあり、寒くない程度に暖房が効いていました。

翌朝4時、間もなく始発そして他の電車も動き出すという非公式発表が、改札前の人たちにだけ伝えられました。私は、

都営地下鉄で、三田から泉岳寺まで前進し、残りを歩いて品川駅に着きました。果たしてJRを差し置いて
京浜急行は、目の前のシャッターを開きました。このようにして、

始発の、各駅停車で横浜へ帰りました。


〜〜〜
(今日になって、ブログ日記を書いた事情は以下のことです。)

先刻、確定申告をしました。電子申告ですから、期限内の扱いです。

帰宅したら、すぐにやろうと決めていたことでした。それが完了できましたから、ブログ日記でもやろうというわけです。
posted by のんびりへんじん at 18:14| 神奈川 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記その他 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年01月04日

国税庁HPの電子申告が変わった・・・ちかごろの当局

所得税の確定申告は、毎年、1月〜12月の12ヶ月分を、翌年の2月16日から3月15日にかけて確定申告し納税をします。

年金生活者(や一部のサラリーマン)で所得入金時に、源泉徴収といって支払者が税金を先に仮に納付した額が多すぎるケースの人は、

確定申告をすると多すぎた税金が返してもらえます。(確定申告の一種ですが還付申告という言い方もあります。)

還付申告の場合、2月16日以前でも受け付けてくれることになっています。そこで、

国税庁の、電子申告のページが何時対応するのかと注目していました。(個人的に還付が楽しみとなるほど資金繰りが苦しいです。半分冗談)

今日、官庁のご用始めのタイミングなのに、国税庁の該当ページは、平成22年対応となっています。

実に、すばやいことです。

個人的に還付が楽しみなので、つい注目していまして、気付いた次第です。

posted by のんびりへんじん at 14:37| 神奈川 晴れ| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記その他 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年12月11日

横浜の無料職業訓練(基金訓練)を一つご紹介します

まず手持ちのパンフレット内容です。

受講料:無料
国際Eビジネス 横浜
横浜市中区太田町6−75 関内北原不動産ビル6F

電話:045−228−7135(受付時間:8:30〜20:00)

【募集期間】平成22年11月29日(月)〜平成22年12月17日(金)

【訓練期間】平成23年1月26日(水)〜平成23年7月28日(木)
      14:50−19:40
教材費】9,510円

【面接日】平成22年12月21日(火)

関連資格取得
Exel・Word技能検定(3級)、日商簿記検定(3級)、
秘書技能検定(3級)、販売士検定(3級)、漢字能力検定(3級)、
ビジネス能力検定(3級)、ビジネス文書検定(3級)など

以上、緊急人材育成支援事業 認22−14−02−00−0571でした。
〜〜〜〜〜〜
ここへご紹介する事情
私が、ここの簿記3級講師を依頼されました。

基金訓練とは、雇用保険の対象外で就業できていない人に対する政府の援助事業で受講料は無料で訓練を受けることができるものです。
posted by のんびりへんじん at 19:19| 神奈川 曇り| Comment(0) | TrackBack(0) | 現代姿 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年08月07日

戦争観の衝突を解消したいという意図

ヒロシマ原爆の被害の状況については多くのことが語られつつ、まだ足りない。そのような主張が多い。
 
多くの家々が焼けてしまった。
多くの人々が死んでしまった。

小学校が焼けてしまった。
登校中の子どもたちが死んでしまった。
親たちも死んでしまった。
 
警察署も焼けてしまった。
警察官も多くが死んでしまった。
留置場の泥棒たちも死んでいった。
 
広島に朝鮮籍の人たちもいた。
張一家も被災した。姉は死んでいった。
奇跡的に弟は長命でのち活躍した。
その弟とは張本勲という。(朝鮮名:張勲)
イチロー以前のプロ野球安打記録者である。
 
広島は軍事拠点で陸軍師団司令部があった。
師団長も死んだ。
もとの朝鮮王家の血筋・大韓帝国の末裔ということは もし日本を見習うなら、

朝鮮半島で天皇に相当する地位にあっておかしくないはずの人だった。
(ただちに葬儀の手配が行われ、8月15日にそうる・当時の京城で実施されたという。)
 
通常爆弾・焼夷弾による東京下町の被害も大きなものだったが、広島は異質な悲惨があった。
東京にはなかった放射能の後遺症があった。
広島市市内では生き残っても後遺症に苦しむ人が続出し、広島市中心部では、ほとんど血筋が絶えてしまったという。

日本では、これれらの悲惨を永久に忘れないとして追悼の行事を今も盛大に毎年毎年行っている。
 
私も始めて知ったのですが、今まで合州国政府関係者は、それらの行事に参加しなかった。
合州国との同盟関係にあるイギリス連合王国なども同様に参加しなかった。
 
ところが、オバマ大統領になって、合州国政府関係者が、はじめて行事に参加するようになった。今年が初めてとなる。
 
そしたら、合州国内部から異論が出てきたという報道である。 
 

 大使の平和式典参列 一部米紙で痛烈な意見
http://news.mixi.jp/view_news.pl?id=1301597&media_id=88
↑ このニュースについては、解説やら、合州国国内事情への理解が必要となります。(私はくわしいわけではありませんが・・・。)
 
報道したアメリカの新聞ですが、ウォ−ルストリートジャーナルは一流とされます。
こちらは異論と言うよりも、解答が簡単でないデリケートな問題に対する懸念というべき、落ち着いた報道ぶりと私は見ます。

ニューヨークポストは三流紙です。(超一流のワシントンポストと混同してはいけません。)
下劣なアメリカ右翼を代表する意見で、おそらくキタナい差別語など用いた感情的な報道なのでしょう。

二つの報道を同一に見てはなりません。
合州国でもニューヨークは意見自由な地域であり、別の報道では日本の、アジア太平洋戦争に対する行動への批評も、相対評価ができる人が多く、落ち着いた地域であると知ることができ、そのような地域内で、単細胞右翼系の妄言をアメリカを代表する意見とは考えるべきでないでしょう。

合州国内での、こういった感情や利害感情について、日本人に紹介した先行書物があります。
なぜ戦争観は衝突するか―日本とアメリカ (岩波現代文庫 学術 174)なぜ戦争観は衝突するか―日本とアメリカ (岩波現代文庫 学術 174)
(2007/04)
油井 大三郎

商品詳細を見る
古く合州国内で、日本の原爆被害状況を展示しようとして、合州国内右翼勢力の反対によって潰されてしまった事情を紹介しています。
 
戦争で決定的に敗北した経験のない合州国では、アジア太平洋戦争前の時代の日本のような、
おごり切った人びとが右翼的な正義を掲げており、強力であり今も反省を迫る意見に抵抗しているというわけです。

合州国は正義であり誤ったことは何もしなかった、という意見を持ち続ける人たちです。
原爆投下も正統化するわけです。
 
こういう人たちが軍需産業と結びついているから始末が悪いのです。
このような意見に賛成する人たちは、事実を十分には知りません。また、知らせようとはしないのです。

自分の意見に都合の悪い事実は無視する。

そのような態度の、 傲慢な人物群を多くの分野で私は見てきました。
今さら、驚いてもはじまりません。

今は合州国政府要人が公式に行事参加したことを素直に評価しておくことでしょう。
 
戦争観が衝突すること自体、意見の多様を認めるべきで、やむをえないのですが、
合州国という世界でも先進国でありながら、
事実をすべて知っておこうとしない人びとが存在すること、かつまた
そういう状況を報道しあう関係にあることを理解することが今後も大切なのであります。
 
エドウィンライシャワー、
マイケルマンスフィールド  といった、むかしの合州国大使たちは、日本のことをよく知っており、

彼らこそ、行事参加をしたかったことであろうにということを十分知っておくべきでありましょう。
 


〜この文章脱稿後、別の日本向け報道を見つけました。
 
大使の平和式典出席、一部で批判=米 8月6日18時28分配信 時事通信
 http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20100806-00000099-jij-int


↓原文です↓続きを読む
posted by のんびりへんじん at 20:28| 神奈川 曇り| Comment(0) | TrackBack(0) | 現代姿 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年07月25日

抗ガン漢方薬のこと

自分は実に不思議な気分にあります。
 
大先輩が何を語っておられたのかその時は理解できませんでした。

最近になって理解がだんだん進みました。



末期ガンというのは結局医者にも直せない。
そのため、末期ガンの治療は不可能とだれもが思っている。

ここに、末期ガンにもというか、末期ガンにこそ効くと言う漢方薬なのだという。

それの広告の第一人者がその大先輩だったのでした。

私は最近になって禁煙をはじめました。いまごろからでは手遅れでしょう。

その、いよいよのとき頼ることになりそうな漢方薬をその先輩とともにみなさんにお伝えしましょう。


タグ: 漢方
posted by のんびりへんじん at 11:48| 神奈川 晴れ| Comment(0) | TrackBack(0) | 現代姿 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年05月07日

売り切れてしまったか・・・花より命の長いサフィニア

ウチのヨメさんが、驚きかつ呆れました。
寿命がものすごく長かったのでした。
一年のうち9ヶ月を超えて美しかったのでした。季節はゴールデンウィークのころ植えたものが、いつまでも、夏になってもますます増えて秋になってもまだまだ美しくようやく年末ころ衰えました。


その名はサフィニアと申します。

美しいのは葉全体が花のように見えていることなので花そのものはどうなっているのか判りません。
お庭または私のようにバルコニーに今年も美しく、といってもはじめは小さくて夏に向けてどんどん増えるのです。
このブログに載せるのが遅くて、もう売り切れているかもわかりません。
今年もきました。サフィニアの季節。


 

タグ:サフィニア
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2010年04月04日

日本考古学の変てこさ・・・いったいその種の鏡は中国製か日本製か

最近になって次の記事を見つけました。(全文は末尾)

考古学を一変?「卑弥呼の鏡は日本製」 桜井茶臼山古墳の波紋 
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20100122-00000536-san-soci

三角縁神獣鏡こそ卑弥呼が魏の皇帝から下賜された「銅鏡百枚」で、国内を統治するため各地の勢力に配った−というのが、50年来の定説となっていた。
 
以上のように書いてありますが、この記事を書いた記者さんが、そのように教わり信じ込んでいただけなので、三角縁神獣鏡は、日本列島で製作されたという主張は30年以上前から存在していました。

一部の遺物を説明しようとする仮説の一つに過ぎなかったし、以前から反対論も多かったものを今頃になって、あらためて、否定される根拠が見つかったとすべきことが読み取れない記事です。
日本の古代学者の先生たちの中で、自分の意見を持つこと自体はともかく、意見の不十分さ、弱さを自覚しつつ説明してゆくのでなければ、いつまでたっても古代史のなぞをめぐって、マスコミ自体がアマチュアたちを振り回すことを繰り返すばかりでありましょう。

桜井茶臼山古墳考古学を一変?「卑弥呼の鏡は日本製」の波紋
  ↓  ↓ (全文)

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2010年02月14日

中国当局の宣伝のお粗末・・・日本の基礎的知識を欠いた博物館

中国の軍事革命博物館なのだそうだ。

日本風のよろい兜の写真がある。
説明がついている。

元至元二年(1336年),日本内部分裂以天皇醍醐和大封建主足利尊氏首的南北朝,相互攻伐不已。 乱中的兵将,亡命海,与冒商人相合,到中国沿海行走私和狂掠。些武士、浪人和商人被称"倭寇"。中国境内的一些主、海寇、奸商和流氓分子也乘机打劫,与倭寇狼奸,害百姓。明朝政府防止倭寇的侵,不断加海防,所以在嘉靖以前然不断有倭寇来犯,但未成大。至嘉靖期,明朝国衰微,弛,使倭患日重,沿海人民深受其害。嘉靖后期,明廷起用大猷、戚光等抗倭名将。他新,改法,使抗倭力大掾C相在浙江、福建、广等地倭寇以重。嘉靖四十五 (1566年),底剿倭患,中国人民的抗倭斗争最以利而告束。   
1987年,南京市材公司退休工人道先生将副收藏多年的倭寇甲捐献了事博物,在列于古代争。副甲除缺一珠外,其它完整无。其口有甲的制造日期"正平六年十二月一日"的字。"正平"日本年号,相当于元至正十一年(1351年),也正是日本倭寇形成并不断侵和掠我国南沿海的期。副甲是日本侵略我国的罪。它的展出会不断激人的民族感情和国忱,激励人建立一个大的中国而斗不息。
 
上記文章の最後の部分は

 この甲冑には正平6年(1351年)12月1日の銘があり、
 これは丁度日本倭寇が絶えず中国沿岸を侵略略奪した時期だから、
 この甲冑は中国への日本の侵略の罪悪の確証である。
 
というものらしい。

 誤りが上記にある。
 
正平革というものへの無理解である。

編集鎧と兜山上八郎ほか.JPG
鎧と兜 (1975年) という書物の中で山上八郎さんは、

正平というのは南北朝時代の年号だが、
正平革の鎧兜で、
現存する一番古いものでも室町時代のもので
江戸時代の正平革もいっぱい残っている      と書かれている。
 
ちなみに、熊本県の革職人集団が、南朝の懐良親王から正平年間に免許されたとして、大量生産した革の柄に 正平○年○日○日 というものがある というだけのこと。

その正平年代以後を示すことはあってもまったく年代特定のようなものではない。

この程度のことすら、わきまえない中国当局のお粗末さを 軽蔑してあざ笑うことも今、やむをえないことであろう。
中国当局とは、科学的社会主義なるものを主唱する支配者集団なのであるが、まるで非科学的な言いがかり集団と十分に知っておくことも役立つことであろう。

なお、中国の博物館写真の鎧兜は、中世のものでなく、近世・戦国時代16世紀ころの
当世具足らしいと シロウトの私にもわかる。
  ↓
チャイナの正平革xin_11010205090914087275.jpg
タグ:正平
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2010年01月30日

27年前「遺産はなかった」 ⇒ 今回の4億円の「原資は遺産」という怪しげな説明

1983年1月の産経新聞の書評欄にある「私の一冊」というコーナーで、当時自民党の総務局長だった小沢氏が「座右の書」として海音寺潮五郎の『西郷隆盛』を紹介している。小沢氏は明治維新の「英傑」に関心があり、その中でも最も好きなのが西郷隆盛なのだという。明治維新で中心的役割を果たすも、最後は薩摩の不平士族に押されて起こした西南戦争で自決してしまう西郷の一生を「人間味にあふれている」と評価。政治家としての見通しが悪かった点もあるが、「情に流される西郷に人情政治家としての捨てきれない魅力がある」と書いている。

 そして、西郷隆盛が述べたとされる「子孫のために美田を残さず」という言葉を紹介。「私の亡父も票田こそ残してくれたが、遺産はなかった」と明かしている。最後は「『自分の道は自分で開け』を処世訓にしている」と結んでいる。


 昨日サンケイ系から上記の事実指摘が流れました。(本日の朝刊を注意して読んでみましたが、鳩山総理の所信表明演説の内容記事で充満していましたので、本件は紙面報道されていないのでしょう。)

政敵と考えるからなのでしょう。

 小沢一郎氏に対して、サンケイ新聞は厳しく指摘します。

 しかし、こうも次々と批判が飛び出していることを知らない人も少なからずいるのでしょう。小沢氏に甘いというよりも対中国共産党で甘い朝日新聞であり、そういう朝日新聞を好んでの読者は多いようです。
同様の事態は、田中角栄首相時代も、同様でした。佐藤栄作総理から事実上の後継者とされていたのが福田赳夫さんでした。ところが、福田赳夫さんでは中国との関係上、好ましくないと判断した朝日新聞は一生懸命に田中角栄総理を支援し田中総理総裁が実現したのでした。

 ところが、田中角栄さんに金脈問題が発覚したのでした。その当時、朝日新聞の内部で社会面記者たちが政治面担当記者たちに尋ねたところ、田中角栄の周辺なら金脈程度のことは政治記者に常識でとくに騒ぐほどのことでもないだろうという姿勢と分かってしまいました。

現代ではインターネットの普及でニュースの入手経路が増加し、朝日新聞流の政治的な偏向によってニュースにフィルターかけてしまうことの有効性が減じていますものの、まだまだわが国民をサヨク系へ誘導する効果が残っているようです。

 
 政治に対する態度とか、具体的な個別問題に対する判断において、
かつて池田勇人総理大臣は対決する法案よりも与野党一致して賛成する法案のほうが多い ということを強調した記憶があります。

 

 重要な政治問題に対して基本を正面から議論することなく、国民に対してほどほどの情報提供して判断を誘導する姿勢は、ちかごろの歴史認識問題だとかの議論でも反省すべきことなのに今でも国民を誘導できるという思い上がりが大手マスコミに残存しているように感じますが、サンケイ新聞はひとり抵抗と言いましょうか、正論を唱え続けています。

 ↓ 記事本文 ↓
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2010年01月29日

逮捕後に実名と共に出てくる続々の報道・・・鳥取連続不審死

昨2009年の10月の報道であった。

《結婚詐欺容疑の女 知人相次ぎ不審死》

 埼玉県警に結婚詐欺などの疑いで逮捕された無職の女(34)=東京都豊島区西池袋=の知人男性が相次いで不自然な経緯で死亡していたことが10月27日、県警の調べで判明し、殺人事件の疑いもあるとみて捜査している。県警によると、女とかかわりを持ち、その後に不審死した男性は4人にのぼる。

〜ほぼこの報道の前後のこと、うっかりしていると混同しかねない疑惑が報道され始めていた。こちらの方は

鳥取連続不審死 と表現されていた。本日の報道では、容疑者はもっと以前から当局が容疑しており内密で監視していたという。

しかも、殺人事件の当日も容疑者を尾行していたというのである。

鳥取連続不審死 県警、殺害当日に上田美由紀容疑者を尾行                 1月29日8時41分配信 産経新聞


 鳥取の連続不審死事件で、昨年10月に川で水死した電器店経営、円山秀樹さん=当時(57)=が殺害された当日、鳥取県警の捜査員が、強盗殺人容疑で逮捕された元スナック従業員、上田美由紀容疑者(36)=鳥取市福部町湯山=の行動を確認するため尾行していたことが捜査関係者への取材で28日、分かった。結果的に事件を防ぐことができず、捜査手法に問題があった可能性も出てきた。


 捜査関係者によると、上田容疑者は昨年10月6日、鳥取市内で円山さんに睡眠導入剤などを服用させて摩尼(まに)川に連れて行った。円山さんは川でおぼれて死亡した。県警の捜査員はこの日、上田容疑者の行動を確認するため尾行していたという。


 昨年10月の段階で、別の詐欺事件にかかわった疑いで捜査が進んでおり、昨年4月に同県北栄町沖の日本海で水死したトラック運転手、矢部和実さん=当時(47)=の死に上田容疑者がかかわった疑いも浮上していたとみられる。


 県警は「捜査手法についてはコメントできない」としている。


〜ここで、
警察当局の捜査のスローモーぶりをとやかくいうことはたやすいだろう。その判断の前に

念頭に置くべきは、容疑者が詐欺の前科前歴の持ち主という点である。
記憶にある類似の事件を参考として考察すべきである。
1974年、荒木虎美による別府三億円保険金殺人


1981年、三浦和義によるロス疑惑事件


1995年発覚、松本智津夫によるオウム事件


1998年、林眞須美による和歌山毒カレー事件

上記の一連の事件で、犯人はいずれも前科前歴を持っており、極めてしたたかであった。

当局としては、人権問題が特に声高に主張される現代において、途方もない苦労の末事件を解明したことが、分かる。

今回の鳥取の事件においても当局としては相当の尽力の末、やっと容疑者逮捕にまで前進できたものであろう。


〜事件後年月を経過して、事件の解明が進展していることがある。ところがマスコミというものは地道に一歩一歩の解明について報道することが、意外に苦手である。

(参考例:オウム−なぜ宗教はテロリズムを生んだのか / 島田裕巳   http://www.silverboy.com/silverboy/book0102.htm


島田は、オウムの迷走が信者の「事故死」を公表せず隠したところから始まっているのではないかと推測している。
オウムはそれを公表しその社会的な責任をとる代わりに、それを隠しその秘密を知る信者を殺害した。そしてそれを正当化する教義を次第に先鋭化させて行った。
オウムが「人殺しもあり」のカルト化して行ったのは、決して計画的でもなければ意図的でもなく、成り行きとしかいいようのないなし崩し的な取り繕いでありエスカレーションであったと見る訳だがそれは非常に説得力のある考え方だと思う。

上記にある 島田裕巳 は、かつてオウムに対しサリン疑惑を持たれた
1995年(平成7年)1月25日、第7サティアンを単独取材し、同施設が「神聖な宗教施設」とする内容を発表。サリン事件へのオウム真理教の関与に否定的な見解を示した という眼前の事態を見抜く眼力がない人物である。


人権派という人たち及びサヨクの人間観の甘さが見てとれる。

次のような単純な事実を平然と見落としたままの文章が上記である。


教祖松本智津夫は、詐欺の前科者ではないのか。ウソつきを商売にしてきた人物だったのではないか。

イノセント無邪気な人間集団が、信者の事故死以後、簡単に、どんどんと、殺人集団となっていった。類似の事件は多くはないとしても彼らが知ろうとしないだけのことではないのか。


この調子だから、連合赤軍事件についても同類の、イノセント無邪気な集団が起こすようになっていったと連想しようとしないのであろう。

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2010年01月21日

おーや、おや! ヒマラヤの氷河消失の時期予測の再検討

ただ今、このような記事が飛び交っている。

「ヒマラヤ氷河が2035年までに消滅」を再検証=IPCC
1月19日14時10分配信 ロイター http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20100119-00000019-reu-int


 [ニューデリー 18日 ロイター] 気象学者で構成する国連の委員会は18日、ヒマラヤの氷河が2035年までに消滅する可能性を指摘した過去の報告書について、再検証を行っていることを明らかにした。
 国連の「気候変動に関する政府間パネル(IPCC)」の議長を務めるラジェンドラ・パチャウリ氏が、ロイターにあてた電子メールで、「われわれは現在、ヒマラヤの氷河の件について検証を行っている。それに対する見解を向こう2─3日以内に示すつもりだ」と明かした。
 「地球温暖化が現在のペースで続いた場合、ヒマラヤに数多く存在する氷河は2035年までに消滅する可能性がある」とした2007年発表の同報告書については、インドのラメシュ環境相が同日、疑問を呈していた。


<気候変動>「35年ごろ氷河消失」は誤り IPCC認める
1月21日12時15分配信 毎日新聞 http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20100121-00000033-mai-soci

 国連「気候変動に関する政府間パネル」(IPCC)は20日、07年に公表した4次報告書の記述のうち、ヒマラヤの氷河が35年ごろまでに消失するという予測が誤りだったと発表した。
 誤りだったのは、報告書のうち、地球温暖化の影響をまとめた「第2作業部会」担当部分の一部。環境NGO(非政府組織)世界自然保護基金(WWF)の05年のデータの引用などとして、「ヒマラヤの氷河は世界のどの地域よりも早いスピードで崩壊が進み、35年ごろまでに消失する」と指摘していた。IPCCは、報告書作成の過程で必要とされる科学的根拠の確認などが十分でなかったとしている。
 また、カナダや米国の研究者らは同日、米科学誌サイエンス電子版で誤りの背景などを解説。IPCCが消失の時期を「2035年」としたのは「世界全体の氷河は2350年ごろに(現在の)50万平方キロメートルから10万平方キロメートルに縮小する」という過去の研究を誤って引用した可能性もあるという。研究者らは、35年ごろまでにヒマラヤの氷河が消失するには、1960〜99年の間の消失率の25倍の速度で減少していかなければならない計算になり、氷河と気候の関係に関する知見と相反すると指摘した。【大場あい】


政治社会人..ヒマラヤの氷河消失、報告書は誤りと陳謝 1月21日10時22分配信 読売新聞 http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20100121-00000347-yom-soci 

 【ワシントン=山田哲朗】国連の気候変動に関する政府間パネル(IPCC)は20日、声明を発表し、2007年の第4次報告書で「ヒマラヤの氷河が2035年までに解けてなくなる可能性が非常に高い」とした記述は科学的根拠がなく誤りだったと陳謝した。
 世界中の科学者が協力して作成した報告書は信頼性が高く、IPCCはアル・ゴア元米副大統領と2007年にノーベル平和賞を受賞したが、地球温暖化の懐疑派は「報告書の信頼は揺らいだ」と攻勢を強めている。

 欧米の気象学者らが20日、独自に発表した分析によると、報告書は問題の部分を世界自然保護基金(WWF)のリポートから引用した。WWFは英国の一般向け科学雑誌ニュー・サイエンティストが1999年に掲載したインド人研究者についての記事を引用した。しかし、この研究者の論文は未公表で、氷河消失の時期も予想していなかった。
 「2035年」という時期は、別の文献の「2350年」を写し間違えた可能性があるという。分析は「査読を経た論文を基礎に置くという科学の基本を守れば回避できた間違い」と指摘している。
                                                                                     .最終更新:1月21日10時22分

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posted by のんびりへんじん at 19:04| 曇り| Comment(0) | TrackBack(0) | 現代姿 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年09月12日

日本と中国の高度成長〜大きな違い・・・・・・格差問題について我が意見と同じだ

(以下はまったくの引用です)
 

国経済は、過去10年にわたり、10%前後の高度成長をつづけ、世界における存在感を強めている。これは、第2次大戦後、戦災の廃墟から出発した日本経済が、20年近くにわたる高度成長を実現し、世界第2位の地位に占めるに至ったプロセスを連想させる。
時代は異なるが、両国の高度成長期を比較すると、極めて興味深い問題が浮かび上って来る。中国は、かつての日本のように、20年にわたる高度成長が可能であろうか。

貧富の差の拡大が最大のリスク(中国)
 私は、中国にとって最大のチャレンジは、如何にして同国の社会的リスクを顕在化させないで経済成長がつづけられるかということではないかと思う。
 

経済減速、高まる社会不安〔AFPBB News〕
 社会的リスクの最大のものは、言うまでもなく、貧富の差の拡大である。沿岸工業地帯と内陸農村部の1人当り所得の格差は、今や、6対1になっているといわれる。沿岸工業地帯においても、正規労働者と非合法出稼ぎ労働者の賃金には大きな格差があるという。
   世界で飛び抜けて高い高度成長を実現した2000年から2005年の間に、中国の中の非識字人口は3000万人増えて、1億1000万人になった(世界銀行)ことを見ても、貧富の格差の拡大は明らかであろう。

 このような格差のかなりの部分が、土地の払下げ、開発にからむ汚職と関連しており、またこれがその地帯の水や空気の汚染を惹起しているという認識が民衆の間に拡がり、国内で大小の叛乱が起っている。中国政府の発表でも、2005年には8.7万件の暴動があったし、その数は累年増加している。

農地改革と財産税が一億総中流化もたらす(日本) 
 わが国の高度成長期を振り返ると、このような社会的リスクが殆ど見られないことに気づく。

 私は、それを可能にしたのは、戦後の農地改革と財産税の賦課であったと思う。戦前の日本の農家の75%は小作農であり、収穫の半分もしくはそれ以上の小作料を地主に払い、また高い金利の借入れの重荷を負っていた。「おしん」で描き出されたような世界であった。
 農地改革によって、不在地主から耕作者への所有権の強制的な移転が殆ど実質的な対価なしに行われ、当時はそれに伴う悲劇も多く観察されたものである。

 しかし、これによって、農村部にあった反体制的社会運動は完全に影をひそめ、わが国に社会的安定をもたらす大きな要因となった。
次に、終戦直後に実施された1回限りの財産税がある。これは、50万人の納税者(皇室財産も例外とされなかった)に対し、25〜90%の累進税率で課税され、わが国における貧富の差を縮小するのに大きな役割を果した。

 占領軍の主導による部分が大きいこのような改革については、いろいろな批判もあり得るだろう。しかし、これがその後のわが国において、給与体系、税制などにおいて所得均分的カルチャーを定着させ、90%の国民が「自分は中産階級に属する」と認識するような安定した社会をつくったことは、否定できない。
 また、「ひとりっ子政策」をうけて、今後急速に高齢化する中国社会に比べて、ベビー・ブーマーズが労働力として20年間にわたる高度成長を支えた当時の日本は、本当に恵まれていたと改めておもわざるを得ないのである。


〜以上 
JapanBusinessPress のコラムでした。

☆ほとんど私の持っている意見そのものです。
このコラム筆者内海孚さんは、元大蔵(財務)参事官 ですから税務の歴史的知識から出てくる認識には確かなものがあるわけです。

posted by のんびりへんじん at 20:43| 霧| Comment(0) | TrackBack(0) | 財産への課税 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年09月10日

横浜開港祭に招待された航空自衛隊ブルーインパルスはサーカスだ

6月2日のことですから、もう古いニュースです。この日横浜開港祭。井伊直弼とハリスとの日米通商条約成立の翌年、1859年(条約で東海道神奈川宿と言いつつ少々距離ある漁村の)
横浜が開港されて以来150年のお祭りを横浜市あげて祝いました。
この祭りのイベントの目玉として、航空自衛隊のブルーインパルスというチームが招待され、一家で見物しました。アクロバット飛行つまり一種のサーカスです。
PICT0126.JPG←クリック(大版)
どの方面から登場するのか期待してましたら、編隊が現れました。


PICT0116修正.JPG←クリック(大版)
見事な六機編隊飛行でした。


PICT0131修正.jpg←クリック(大版)
圧巻の六輪が出来ました。

時間にして20分ほど、しかも高速で会場上空を飛び来たり飛び去るものですから実見していたのはもっと少ない時間ですが、面白く拝見しました。
会場は横浜の臨港パークですが、出現したジェット機は飛び去ると逗子あたりまで行ってしまい、そこで編隊を組みなおして戻ってきたもののようでした。

ここで、目の前でエンジン音を響かせつつ急上昇の素晴らしさを見ていて、その昔、山本五十六提督のコトバを思い浮かべておりました。
「若い搭乗員たちが、あのような無理な上昇飛行をすると肺から血を噴出し、病気になって寿命を縮める。気の毒だが、こうゆうことをさせねばならぬ。」(ほぼ、このようなものでした。)

近頃は、操縦室飛行服などが改良されて、急上昇しても操縦室の空気は急に薄くならないし、気圧は変動しないし、また飛行服が自動的に急圧迫するので血が足に溜まって膨れてくるようなこともなく、そのような操縦中の搭乗員の苦しさは昔のものとなったとか。
誤解がないように、心得ておくべきことは、このブルーインパルスというサーカスは国民の理解をもらうための見世物だということで、実戦の戦闘機がやっているわけではありません。皆、練習機なのです。

そりゃ、似たような訓練ですから
チーム員はそれぞれ立派な戦闘機乗りになれるだろう。でも、それだけのことだと知っておくべきでしょう。

現在の自衛隊について、内実を知っておくことは大切だと考えています。
高木惣吉少将の自伝的海軍始末記では、むかしの帝国海軍について裏側事情からは、アジア太平洋戦争どころか、昭和初期に見掛け倒しだったことが描かれていました。
posted by のんびりへんじん at 14:46| 雨| Comment(0) | TrackBack(0) | 現代姿 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年09月08日

海上自衛隊の最新護衛艦ひゅうがを横浜大桟橋に見学しました

横浜元町へ買い物の帰りに山下公園方面をドライブしていたら大桟橋に珍しい形の軍艦を見かけました(平成21年9月5日)。
平らな一枚甲板だから航空母艦みたい。
航空母艦にしては、やや小型。
アメリカ軍艦にしては横浜までやって来るのはおかしい。(横須賀なら納得)

ひゅうが20090905横浜大桟橋編集.jpg

帰宅後の産経新聞で、ひゅうがという名前で海上自衛隊のヘリコプター搭載護衛艦が横浜大桟橋で防災訓練のため寄港したこと、翌9月6日には一般公開とありました。

諸般繰り合わせて見学しました。なにしろ、3月就役したばかりの最新鋭護衛艦というのです。
のんびりひまじんは愛国者であり、自衛隊については、一応の評価とイザというときの期待をします。
PICT0139修正.jpg
大きなリフトが二台装備されていて、甲板下は、格納庫というか整備工場というか、大きな空間でした。
予算の都合もあるのでしょう、ヘリコプターはわずか二機あっただけ (実装可能は11機)。
今年、3月就役と新しいこと(そして積載するヘリコプターが乏しいらしいこと)からでしょう、床がとても美しい状態にありました。比較するのは、自動車整備工場です。

火気厳禁 という看板も目立ちますが、艦内全面的に禁煙なのかしらと心配でした。
(ついでに、艦内禁酒はアメリカ海軍では常識のようですが、日本では甘いらしい。)

見学しての感想としては、この程度のヘリコプター搭載艦が6〜8隻ほども必要なのではなかろうかと考えました。
不審船やら潜水艦への対抗力が必要でしょう。
横浜大桟橋近くには、海上保安庁の手柄になる、ハングル文字の不審船が展示されています。

そのような不審船対策としては、海上ヘリコプターを相当数飛ばす必要がありましょう。
PICT0156修正.JPG
 この一般公開に応じた見学者数は全部で10,321人だったと、報告されてました。随分多いものとする向きもありましょうが、私個人の実感ではそんなに少なかったのかナというところでした。

戻ってから、いろいろ調べますと、今回の大桟橋寄港は、防災週間の行事(兼横浜開港150年記念)として、海上保安庁、神奈川県警察、横浜消防、そして陸上自衛隊との合同訓練が基本にあり、そのついでに一般公開されたものでした。

海上自衛隊第一護衛隊群のHP には写真入りで、この防災訓練出動を紹介しています。
http://www.mod.go.jp/msdf/ccf1/

かつて、昭和39(1964)年ですから私が大学一年のとき、日本社会党は「社会主義への道」という文書の中で自衛隊を改組する方針を発表してました。国民警察隊と平和国土建設隊とを作るはずでした。

このような構想は、いい加減にあやふやなもので真剣さが欠けておりましたために、社会党の村山富市首相のとき、平成7(1995)年1月17日、神戸に大震災が発生したのに即座の対応が出来ず、自衛隊への出動要請が遅延して、大勢の死者を救えなかったとされています。
自衛隊を改組して、大きな自然災害に対応させるつもりだったというのは見せ掛けだったことが露呈したのでした。
また、神戸市は長く革新系自治体で自衛隊への協力どころか共同訓練を呼びかけても応じてなかったというありさまだったとも言われました。(東京や神奈川県でも同様だろうと報道したら、とんでもない毎年連携訓練をしていたのでした。)

私は、100%完全にヘリコプター母艦として最初の護衛艦であることに専門家が注目していること、特に防衛省では予算獲得請求にもこの護衛艦ひゅうがをPRしたがっていることが現場で見学して理解できました。

ただ私自身はもっと別のことを考えています。
甲板、および整備格納スペースが広いので、恐らく災害派遣のとき活躍の可能性がいっぱいあるだろう。

参考)むかし伊豆半島方面で地震が発生し、道路鉄道が寸断され、下田伊東という観光地に多くの人びとが孤立したとき、護衛艦が救援輸送したことがありました。
この護衛艦:ひゅうが ならば、スペース十分だろうというわけです。

そういうことに気付いて、マスコミの報道ぶり、ITでの記事いかにと見渡しました。

・産経新聞は、保守系の牙城新聞で、さすがに独自報道のようでした。
・時事通信が基本記事を配信しています。(ですから一切記事がないならそれなりの判断をして意図的に記事にしない方針の報道機関と考えましょう。)
・イントラ検索で記事が確認できたのは西日本、四国、静岡、山県、河北(宮城県)、山陽、北日本、富山、下野(栃木県)、(秋田)さきがけ、岩手日報、東奥日報(青森県)、京都、神戸、茨城、福島民報、日刊スポーツ 東京新聞 といった新聞でした。
・記事が確認できなかったのが、地元の神奈川新聞はじめ朝日、毎日、読売、日経といった全国紙でした。(もっとも地方版には掲載されているのかも知れません。)

さて、同じことが、東京港の竹芝桟橋あたりで実施されたとしたら、どう報道されるものでしょうか?
案外、全国に報道されるのかも知れません。
なにしろ、この列島国の首都マスコミときたら、自分たちが日本の中心だと思い上がった態度がしみ付いてしまっています。

実は海上自衛隊のことは、横須賀、佐世保、舞鶴の三基地での現地情報が重要なのに、首都マスコミの態度は基地についてはハンターイ運動ばかり取り上げてきたのが今までの実情でしょう。
海上保安庁、神奈川県警察、横浜消防、陸上自衛隊のそれぞれのヘリコプターが、この海上自衛隊の護衛艦に着艦訓練をしたのでそれぞれの操縦士たちはもし不幸な本番のときに対応できる見込みが出たくらいのことは、読者に認識してもらう報道があっても良かろうと考えるのでした。
posted by のんびりへんじん at 20:24| 雨| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記その他 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年05月24日

コリアンレポートという辺真一ぴょんじんいるさんのページ

辺真一(ぴょんじんいる)さんはテレビによく出てくる。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%BE%BA%E7%9C%9F%E4%B8%80

この人にコリアンレポートの 独自のページ があることに気づいたのは最近だ。
http://www.krp1982.com/

さらにブログ もあった。
http://blogs.yahoo.co.jp/krp19820301/MYBLOG/yblog.html

つくづく現代日本は、インターネットという新しいツールの進歩から新しい現実が成長しつつあるということを知る。
この10年間くらいだろう。インターネットが大きく普及した。

無論インターネットにも問題がある。

議論の行き過ぎ。ないし、主張の限界に気付かないまま、連想から一方的決め付けがありうることだ。


だが、少なくとも少数ながら、どんな意見でも発表が許されていることは貴重なのだ。


きむじょんにるの北朝鮮が、時代からどんどん遅れてゆく姿を、インターネットを通じてなま暖かく見守ることが続きそうだ。


 

posted by のんびりへんじん at 15:48| 雨| Comment(0) | TrackBack(0) | コリアチャイナ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年03月22日

春分の日の産経「正論」に現代アメリカの問題風潮を見る

現代アメリカの風潮と     その中に含んでいる 基本的な問題点を認識する出色のコメントを、春分の日の産経新聞・正論に見つけました。 この現代アメリカの風潮としましたが、アメリカという類似がまれな国家および国民に、良くも悪くもしみ付いた体質と見破るなら、アメリカとの付き合い方を考慮するときの重要な認識と知っておくことなのでありましょう。 つい最近のこと、アメリカ共和党員の一致した意見が 福祉社会にハンターイ というものと気付いて驚きました。 ヨーロッパおよび日本では、福祉社会=理想というのがそれぞれの国民の常識でありましょう。 世界には、社会の理想状態に対する意見に、大きな巾が存在し、それぞれをイデオロギーとして認識しておくことが必要なのでしょう。 健康で文化的な最低限度の生活を、政府が保証しようという憲法条文を国民が広く受容しているわが国とは異質な合衆国という認識を持ちましょう。(その憲法は決して押し付けではなかったことも認識しましょう。) その異質な合衆国の体質とは、 所得格差を縮めるよりは、富豪への夢を、貧しい人たちまでも、持ち続けているような社会風潮が根深いというのです。 ここで末尾に引用した加藤尚武さんのコラムを読んでいただくとして、 ソビエト崩壊後の現代の問題は、冷たい戦争に勝利した合衆国のこの体質の問題点が世界に対して持っていると認識することです。 アメリカは経済的にうまくいってないのです。 貿易収支がアンバランスであります。 資源の浪費を続けています。 社会的な格差を拡大しています。 それでありながら、その延長上に思考しているのですから、アメリカ合衆国は、今までの経済を続けることは困難な状況にあります。  いくらオバマさんが、チェンジ=改革を叫んでも、基本に気付いていないようです。 恐らく失敗することでありましょう。加藤尚武さんfnc0903200329001-p1.jpg 【正論】京都大学名誉教授・加藤尚武 アメリカ経済の危うい仕組み    ↓続きを読む(クリック)↓
posted by のんびりへんじん at 12:00| 雨| Comment(0) | TrackBack(0) | 現代姿 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年01月13日

29年後に公開された東條英樹の述懐

東條英機は 、敗戦・占領直後に戦犯指名され、連行というタイミング(昭和20年9月)にピストル自殺を図った。
弾が急所をそれた。
占領軍当局がは病院へ搬送のうえ、輸血手術、手当て、看護をした。命をとりとめた。

助かってしまったときの述懐が、実に29年後の昭和49(1974)年になって公開された。

公開がこのように遅らされた事情を、保坂正康さんは、

東條のあまりにも素朴な自省は、開戦時の首相としては不謹慎に過ぎるからである。この程度の認識もなしに戦争に突入したとすれば、それはかなり由々しき問題と受けとめられてもしかたなかったと、関係者は恐れた。(P593)                  としている。
東條英機と天皇の時代東條英機と天皇の時代
(2005/11)
保阪 正康

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(東條の述懐)
統帥権独立は結果的に誤りであり、これによって軍内の下剋上の思想がはびこった。
それが陸軍の横暴につながった。    

さらにアメリカのデモクラシーについて
「治療を受けるあいだ付き添ってくれたアメリカのMPは立派だった。社会の動きにもそれなりの見識をもっていた。

教育程度も高いからだろうが、国民に知らせ、自覚をもたせ、これを掌握すれば力となる。アメリカのデモクラシーはこの点にあったのだ」

日米交渉の反省
「日米両国はともに虚心坦懐に東亜安定の基礎確立のために、直接交渉して、和平の途を勇敢に講じてみるべきではなかったか」

〜〜〜〜
陸軍大臣だったときに、戦陣訓 を制定した。有名な、生きて虜囚の辱めを受けるな というものであったから、自殺未遂は 大スキャンダル。そういう非難殺到中での上記述懐は、率直なものであったとしてとても、一般公開できなかった。

補足:東條英機と天皇の時代には、上記の信じがたいような述懐以前に、当時の日本政府代表の鈴木九萬(外務省)にも、会見のたび
 「自分は生きながらえる考えはない。アイケルバーガー中将が、自ら病院に来て、かゆいところに手の届くような手厚い看護をしてくれるのて感謝に堪えない」(一回目)
「死ぬのはやめにした。法定で所信を述べ戦争責任をとりた」(二回目)
と述懐したとあり、上記の述懐を裏付けている。さらに、無関心な態度の日本政府に対し、
「アメリカの将校は徳義が高い」とか「わが陸軍からは誰も見舞いにこない」とまでもらしたという。

著者:保阪正康さんは、
状況のなかで容易に思考を変質させてしまう東條独特の無定見さ
思想や世界観がないゆえに、ただ状況に反応するだけ
と喝破している。

☆まことに信じがたいが、極悪戦犯の実相は、このようなものだった。

今、小生は、ほぼこのときの東條英機と同じ年代となり、

東條への理解とともに、もののはずみで重大な役割を与えられ、分不相応な重大事を、無定見で、なりゆき次第なのに、わめきちらして強行を繰り返したあげくの大東亜戦争という全国民ばかりかアジアの人びとへの不幸を与えたことを知る。

本書で、東條英機が首相となって、それまでの慣行と違い、昭和天皇へ何度も足を運び、なんらかの企画案を清書でなく、下書き状態の段階で指図をあおいだと、明らかにしている。
⇒これは、上司へのゴマスリの一種であり、部下が可愛がってもらう秘訣の一つである。そういうことよりも、自ら考えて発案する能力に欠けているからそういうことをするのである。自信のなさである。実態を把握できていないことの証明とすべきなのである。
上司としては気をつけねばならないのだが、そういう無能の部下は重用してはならないのである。そういうことに、とても気付く能力のない昭和天皇であった。
posted by のんびりへんじん at 01:00| 雨| Comment(0) | TrackBack(0) | 戦後史 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年01月10日

不幸にも予言的中・・・直江津歩著 サブプライム危機終わりなき悪夢 アメリカがヤバい!

本書を経済の歴史上の一局面を後世に伝えておく書物として暫定的に推薦したいと考えます。 (もっと総合的に分かりやすく書き残す書物が出たら推薦を差し替えるとします。) サブプライム危機の最悪のシナリオでは、 アメリカの景気後退が、日本はじめ中国インドなど新興諸国に及ぶという予測でした。 ドル株式不動産が大暴落 世界恐慌になると可能性でした。 不幸にもほとんど全てが最悪方向に 完全に予言が的中してしまいました。
サブプライム危機 終わりなき悪夢 アメリカがヤバい!サブプライム危機 終わりなき悪夢 アメリカがヤバい! (2008/03/19) 直江津 歩 商品詳細を見る
歴史上では、 1980年代・昭和末期の日本列島のバブルがありました。(それ以前に1970年代に列島改造ブームという小バブルもあり) これへの対応がモタついて失われた10年(あるいは15年)という時代が続き、その記憶が残ったまま今回の世界大不況に巻き込まれました。以前 1920年代アメリカフロリダ半島の不動産バブルはじけた後に大きな破裂となった株式暴落 など 経済史のうえで特筆しておくべき事件に追加すべき記録が出現してきました。 経済学の歴史でも皮肉です。 恐慌論だとかバブル論などまじめに研究した少数の学者たちは転向してしまい恐慌が忘れられたというよりも、研究そのものが存在したのかも忘れられていました。恐慌なんてことは経済学や統計が進歩したから起き得ないと確信して久しく経過したころに世界の恐慌が実現しました。 本年正月、本書を読み返して不幸にも続々と本書の予言が的中していった実感を抱きなおした次第です。 2000年代は、不動産の世界的バブル、中でもアメリカの不良貸し出しバブルを大きく増幅した金融工学の事情もヒドいものでした。 昨年3月に書かれた本書の場合、まだ 原料インフレ などというコトバも出てきています。 真実の恐慌となれば、インフレはあり得ません。どうやら、昨今になって 原油価格も大きく下落しつつあります。 日本人は全体平均では、原油や穀物の価格が2〜3倍という少しばかり上昇したとしても、少し困るだけでしたから、そう大騒ぎになりませんでした。一方で世界的には特にアフリカなどでは貧しい人が多くて穀物つまりパンやご飯を食べることができなくなったことでしょう。 相場は、そのときが上昇の限界だったでしょう。 相場商品の上下幅にも限度が存在することを忘れたかのような一時の相場状況でした。 最近は落ち着いてきたようです。 (それどころか暴落=下落し過ぎ傾向のようです。多分、不動産が思わしくなくなって別の相場商品に手を出したがる相場師・懲りない人びとの残党が活動していたのでありましょう。)
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2008年10月03日

家宝の行方 小田部雄次著 に資産家の没落事情を見る そして財産税の凄さも

古美術品業界の一面の話題である。
第一次大戦のころから、没落しかけた旧家(公家旧大名など華族が多い)が売り出しの中心で、成金などと呼ばれた新興資産家が買い手の中心で、アジア太平洋戦前では、第一次大戦中の好景気時期に目立った古美術品のことが書かれる。権威と地位は高かったが近代化進展に対応できず、没落線上で家の宝物を売り出す旧家も多かった。

競売の売りたて目録が4000種冊以上も残っていて、その分析が描かれる。
家宝の行方―美術品が語る名家の明治・大正・昭和家宝の行方―美術品が語る名家の明治・大正・昭和
(2004/10)
小田部 雄次

商品詳細を見る
本書で、戦後の財産税の実施が華族たちに痛烈な状況をもたらしたことが印象的である。

古美術品の組織だった競売のための売りたて目録がほとんど残っていない。
組織だった競売などできなかったから目録すら残らないままにツテを求めて売り払ったのだ。

個人的に売り先を探してというより、家事を切り盛りしてきたシロウトに近い、昔からの家老たち、事務員たちが思い思いに売るしかなかった。

敗戦後の昭和21年11月12日に公布された財産税とその適用
財産税は同年3月3日時点での個人財産に賦課され、最高税率90%にも及び、納税時期は翌年3月とされた。株式・国債、または土地などによる物納が認められたがわずか数ヶ月の間に納税しなければならなかった。(P141)

池田成彬家の場合
純財産額375万円の54%の204万円納付して171万円が残余

団琢磨家の場合
純財産額712万円の76%の541万円納付して171万円が残余
 
益田孝家の場合
純財産額2012万円の83%の1672万円納付した340万円が残余
(この財産のうち美術品がはじめ300万円と申告、のち800万円と修正とある・・・※)
 
田安徳川家の場合、
昭和10年あたりから次第に逼迫しはじめ、ようやく生き残った戦後には、空襲で東京の家も焼けてしまい、家族が住むところにも苦労し、あげくの果ては相続税、財産税で、他人に貸してあったりした残された財産のほとんどが、物納でなくなってしまった。(P112)
 

※ 先に酷い間違いだと指摘したことがあるが、
元日銀マンが教える預金封鎖元日銀マンが教える預金封鎖
(2004/04/02)
本吉 正雄

商品詳細を見る
の本のP69に、
戦後の財産税徴収は金融資産だけに実施された というのが誤りと分かる。
 
昭和22年実施の財産税は、金融資産だけでなく、土地家屋や美術品まで金額に評価査定して課税されたのである。
posted by のんびりへんじん at 11:00| 雨| Comment(0) | TrackBack(0) | 財産への課税 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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