先立って、世の中に流通している円紙幣を旧円=無効とし、新円に全部入れ替え(新円切替え)するために一旦、全部銀行に預金させ、引き出し制限(預金封鎖)を行い、その切替の日:1946(昭和21)年3月3日午前0時に財産調査を実施してあった。
大地主、財閥家族、華族(旧大名公家・明治以来の元勲子孫)、天皇・皇族といった納税義務者合計47万6千人は、みないっぺんに没落した。
岩波 戦後日本 占領と戦後改革第2巻第一部GHQと日本占領より(広田四哉さん執筆)
敗戦直後
1945(昭和20)年10月9日、幣原喜重郎内閣に大蔵大臣として渋沢敬三さんが就任。
<当時の国家財政事情>
・破綻状態←なんらかの財政収入が必要
・通貨膨張に対しインフレ対策が必要←世間に出回っている通貨を吸収する必要
⇒対策検討:財産税創設 及び 預金封鎖 という二つの対策を一体として同時実施を検討、特に財産税は高率累進税による一回限りの臨時税として本格的に取り上げた。
※そのとき、敗戦直後です!
政府を挙げて戦争をしたのでして、いっぱい国民各位に借金(国債発行)もし、雇った兵隊軍人、徴用者(強制的に働かせていた)に給与を支給せねばならず、軍需工場の会社に保証した利益を支払う約束が実行できない状態でした。
1946(昭和21)年2月16日金融緊急措置(新円切替え預金封鎖)
旧円の預金封鎖:世間の流通紙幣を一旦全部預金させ、引き出しは一人一ヶ月当たり5百円までとする。(←世間の通貨を一時的に減少させ物価上昇を防ぐ:貨幣数量説)
軍需産業ばかりやっていたので生活必需物資の生産が不充分なのに除隊となった兵隊軍人のように給料をまとめて受け取って世間に出てきた人間が大勢いた。→統制経済の建前にもかかわらずインフレの脅威が闇市場に迫っています。軍人兵隊たちは、除隊の混乱の中で軍の物資をトラックごと盗み出し復員しました。隠匿物資というのは当時の流行語です。
この当時の幣原喜重郎総理及び松本丞治国務大臣は新憲法をめぐってマッカーサー当局との折衝で精一杯だったらしく、疲れてもどったところへ大蔵大臣が、引き出し額上限を3百円か5百円かを大蔵大臣が検討申し入れに、上の空したことが別の書物にあった記憶です。財産税についての検討経過は、私が読む普通の市販書物には出てきません。(財産税が戦後改革の中で、重要だと主張するのも本書の広田さんだけみたいです。)
本書では、昭和21年4月末から5月半ばにかけて占領軍司令部と議論を重ねたとあります。総理でなくて渋沢敬三大蔵大臣が折衝したのでしょう。
免税点:日本側原案二万円→十万円
税率:日本側原案10%〜70%→25%〜90% と決まり法案に具体化しました。
ここで本書で広田さんは;
財産税の規模と性格が、特に上層の納税義務者に著しく厳しいものとなった。インフレ対策、政府増収対策よりも富の再分配に力点が置かれた。(こう評しますP115)
(5月22日で総理は吉田茂さん、大蔵大臣は石橋湛山さんに代わりました。)
議会は新憲法で一杯いっぱいだったのでしょうか?
衆議院は、例の初の婦人議員39名を含んでました。
貴族院は、この納税義務者たちの集団なのですから審議内容には興味あるのですが本書には出てきません。
1946(昭和21)年11月12日財産税法成立公布。(新憲法公布の9日後です。ということは新憲法改正前に、旧憲法のまま、このような、財産の大部分を実質国家が没収することとなる、酷烈な法令が制定実施されたのです。)
実施は1947(昭和22)年2月15日申告期限。納付は一ヵ月後とされましたが、物納も認められました。(利子税を支払っての延納もできたでしょう。)
<超過累進税率>
課税価格(万円) 税率(%)
10 25
11 30
12 35
13 40
15 45
17 50
20 55
30 60
50 65
100 70
150 75
300 80
500 85
1,500 90
「世界においてまだ実行されたことのない最も高率のものであった」(P1116)
<財産税法の歴史的特記事項>
@歴史上、始めて天皇にも課税
本書には近代史上初めて、天皇にも課税したとある。(P151)
この表現は誤りでしょう。歴史上始めて天皇が政府に納税したのでしょう。
中世戦国時代に天皇が財産領地をすっかり無くし、ほとんど、自宅(御所)だけになってすっかり貧乏した。この時期に財産を無くした事情は、合法の課税でなくて、不法の強奪だった。伝説的な古代から124代目の天皇に至って初めて課税されたのでしょう。
確かに、欽定憲法下において「神聖ニシテ侵スベカラ」ざる天皇に一般国民と同じ納税義務から免れない(P151)としたことの意義は大きいです。
A始めての申告納税方式
税金には、
課税当局が税額を査定計算する賦課課税方式と
納税者が、みずから税額を計算記載する申告納税方式とがありますが、このときの財産税法で、始めて申告納税方式が採用されました。以後の所得税、法人税などでも申告納税方式で現在は一般化しました。(この申告の仕事の専門家として、税理士制度が法定されるのは後年です。)
B公示公告制度も初めてでしょう
申告納税制度を保証するために、申告書が公示されたとあります(P116)。
グエッェ! ギョッ!
あのねえ、財産税の申告書は知りませんが、現行の相続税の申告書の場合ですと、添付の別表に全相続財産を行明細して記載します。
財産明細付きの申告書を公告縦覧したのですってっ!
当時の書物で誰々の個人財産は○○万円とか記述がある場合、この公告数字なのです。(例 東條英機はン万円)
公示制度は、俗に長者番付といい、先ごろの2006(平成18)年3月までで廃止となりました。その多額納税者公示の制度は、氏名・納税地(住所)のほか個人別の申告税額または申告課税遺産総額だけの一覧表でした。個人情報保護とかで廃止となりました。
C第三者通報制度
明細までも公告したうえ、申告しない財産を例えば登記台帳と比較して当局に通報すると、ご褒美が出た。のちに報奨金が増額されたのでビジネスとした者がいたという。脱税見つけて十万円などと新聞に出た。
この制度は一時的で、弊害が多いとしてかなり以前(昭和29年ごろ)に廃止。
〜次回からは戦後の個別改革と対比しながら、その中で財産税が、どういう効果を持ったかに移ります。




